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Happy Women's Map 福井県福井市 「働く婦人の家」「主婦連合会」創設者 奥 むめお 女史 / The Founder of "Working Woman's House" "Housewives' Association", Ms. Mumeo Oku
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「平々凡々な女の日常生活のなかに政治を見出し、その道を光あり、幸ある明るいものにすること」
“Find politics in the ordinary life of women, and make their path bright, happy and bright.”
奥 むめお 女史
Ms. Mumeo Oku
1895 - 1997
福井県福井市 生誕
Born in Fukui-city, Fukui-ken
奥むめお女史は子連れ婦人運動家の草分けです。「働く婦人の家」「主婦連合会」を設立。 「賃金奴隷」「家庭奴隷」である女性の解放を目指し、戦前から一貫して生活を政治に結びつける運動を繰り広げました。
Ms. Oku Mumeo was a founder of "Working Woman's House" "Housewives' Association", pioneering figure among activist mothers. She consistently pursued the liberation of women labeled as "wage slaves" and "domestic slaves," and from pre-war times onward, she engaged in movements that intertwined livelihood with politics.
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「鍛冶屋の長女」
むめおは裕福な鍛冶屋の長女として生まれます。低賃金と長時間労働で苦しむ機織り工場で働く女工たちがあふれる町で、むめおは教育熱心な父・和田甚三郎のもと『青鞜』創刊号はじめたくさんの本を与えられ、福井師範附属小学校、県立高等女学校、日本女子大学校へ進学します。母・はまは封建的な家族制度のもとで忍従しながら生きた日本の伝統的な母親で、学問が無くとも家業を助け、使用人の世話をし、7人の子どもを産んで33歳の若さで早世します。むめおも幼少期から朝暗いうちから夜遅くまで使用人とともに家事労働に従事します。女子大では図書館で哲学書を読みふけり、寮生活で料理の腕を上げて先輩・小橋三四子の『婦人週報』の料理記事担当として手伝います。
「賃金奴隷からの解放」
卒業後のむめおは、鎌倉で豪農の娘の家庭教師の仕事に就きながらお寺で座禅体験三昧。東京へ戻ったむめおは、無政府主義や労働問題、哲学や人芸術論などの学習会に参加。むめおは郷里で挨拶を交わしていた女工たちに深い関心を寄せるようになり、『労働世界』の記者として横浜の富士瓦斯紡績工場への潜入。幼い少女たちが大きな機械にひきづられて立居眠りしながら徹夜で作業する様子などを発表して、「賃金奴隷」である労働・職業婦人の解放を訴えはじめます。24歳で詩人・奥栄一と結婚。翌年、同窓生である平塚らいてう、市川房枝、坂本真琴らと婦人団体・新婦人協会を設立。平塚と市川が運動から離れた後も、機関誌『女性同盟』の編集を引き継ぎ、子連れで国会議員に対する請願運動を継続。男子同様女子が政治集会に参加する自由と権利、ならびに花柳病男子は全治するまで結婚を禁止する法律を実現します。
「家庭奴隷からの解放」
離婚をして母子家庭となったむめおは、政治活動に参加する暇もゆとりもない忙しく貧しい主婦たちに関心を寄せるようになります。「家庭奴隷」である無産家庭婦の開放を目指し、消費生活協同組合の新居格や産業組合の千石興太郎から消費組合運動などについて学びはじめます。28歳のとき「職業婦人社」をあらたに旗揚げ、雑誌『職業婦人』(後に『婦人と労働』『婦人運動』と改題)を発刊。女性が自由に社会活動また社会形成に参画できるように、家庭生活・消費生活の合理化・共同化のための最新情報をかみ砕いて紹介します。都市中間層の中産階級から地方の一般無産階級の女性まで、女性運動の羅針盤また購読者同士の交流のよりどころになります。続いて「婦人消責組合協会」を立ち上げ、今まで婦人運動でなおざりにされてきた家庭婦人の日常の問題、物価値下げ、不正商品の摘発、児童福祉、母性保護、学校教育の改善、税制改革、社会的福利施設の増設などの解決を目指します。
「働く婦人の家」
戦時下の勤労奉仕として女性たちが農村へ工場へ社会事業施設へ加わっていく中、むめおは託児所兼集会所『婦人セツルメント』(後の『働く婦人の家』)を設立。託児保育、こどもの健康指導、婦人の性教育・妊娠調節・授産指導、夜間女学部での家政はじめ学問また芸術講義、資格・職業斡旋、物資の共同購入、共同炊事・洗濯、懇親会、少年少女会、などの社会事業を全国展開します。勤労婦人たちの連帯と憩いと社会学習の「家」となります。敗戦後、52歳のむめおは第1回参議院議員通常選挙に出馬して当選。消費者のための省庁・「生活省」の設置を目指して3期18年務めます。議員活動の傍ら新団体「主婦連合会」の会長に就任。エプロン(割烹着)としゃもじを旗印に、不良品追放や『主婦の店』選定運動を全国展開。消費者・婦人運動を終生指導し続けます。
-『新女性の道』(奥むめお 著 / 金鈴社1942年)
-『野火あかあかと : 奥むめお自伝』(奥むめお 著 / ドメス出版1988年)
-主婦連合会 Association of Consumer Organizations
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