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Happy Women's Map 島根県津和野町 女性建築家の草分け 吉田 文子 女史 / Japan's First Female Architect, Ms.Fumiko Yoshida

-早稲田大学「早稲田の女子学生」展


吉田 文子 女史
Ms. Fumiko Yoshida
1913 - 2001
島根県津和野町 生誕
Born in Tsuwano-machi, Shimane-ken

吉田 文子 女史は女性建築家の草分けです。女子製図手から女性建築設計者に踏み出した最初の女性、敗戦後の日本でいち早く設計事務所を開業、乗馬服に身を包んで男性社会に入って被災町工場の建て直しに奮闘。
Ms. Fumiko Yoshida is a pioneer among female architects. She is the first woman to transition from being a female draftsman to a female architectural designer. Following the end of World War II in Japan, she quickly established her own architectural firm and bravely entered the male-dominated society, clad in riding attire, to work tirelessly on rebuilding factories in devastated towns. 

「女子製図手」
 文子は、大工の棟梁である父・吉田一市ならびに母・リヨの長女としてうまれます。一家は中国山東省青島に渡ります。父親は腕のよい大工で、自宅2階には建築家を志す青年が居候します。文子の身近にはいつも図面や教材があり、小学校の頃には「建築家も悪くはない」と思い始めます。まもなく一家は関東大震災直後の建築ブームにのって中国から日本に引き揚げます。文子は、職業婦人になりたいと考え、工業技術者育成を目的として設立された中央工学校の女子製図科に進学、「女子製図手」を目指します。都市再編と建築活動を支える技術者として、「緻密な頭脳と根気」「手先の器用さ」を備えた女子の新しい職業として注目されていました。文子は1年の修業期間を終えると、15歳で卒業。就職するものの翌年には建築設計者を目指して、女子の入学を開始した早稲田大学付属工手学校(夜学)に入学します。文子はもう一人の女子生徒と一緒に勉強に打ち込み、2年半後に成績優秀で卒業。建築学科の田辺泰教授研究室の助手となり、日本社寺・城郭等の図面作成調査に従事します。

「女性建築設計者」
 震災復興も一段落して就職難の時期に、文子は幸運にも女社長に気に入られ鈴木小松商店技術部に就職。3年間、軍隊・病院・料理教室・服部時計店・東宝劇場・明治生命館などの厨房設計の仕事に携わります。施行現場という男社会の中で、文子は最初はYシャツにネクタイの背広といった男装から、やがてオーダーメイドの乗馬服に手製の帽子の中に長あみのお下げをおさめて被り現場に出かけるようになります。3年後、佐藤鉄工所設計部で陸海軍施設などの厨房設備の設計施工に従事。さらに3年後、男子が次々と太平洋戦争の戦地に去っていく中で、則武工業事務所に就職。敗戦後、37歳の文子は「吉田設計事務所」を開設。「建築を通して社会を建て直していこう」。主に被災町工場の建て直しに奮闘しながら、住宅・社屋・店舗の設計・工事監理・申請業務・土地家屋測量調査等を手がけます。従業員も30名程を抱えるようになります。文子の業績と人柄が評価され、稲門建築会副会長・日本建築学会評議員・東京建築士事務所協会研究部長監事等を歴任。

-稲門建築会
-早稲田大学

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