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Happy Women's Map 京都府亀岡市 天道流第15代薙刀術範士 美田村 千代 女史 / 15th Tendo-ryu Naginata Master, Ms. Chiyo Mitamura
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「同じ武道教育にも男子と女子は相違があります。」
"Even in the same martial arts education, there are differences between boys and girls."
「女子として攻撃したり争ったりする必要はありません。争わんがための武道ではありません。攻撃精神を持つ代わりに自分を慎むということをしなければなりません。」
"As girls, there is no need to attack or fight. Martial arts are not about fighting. Instead of having an aggressive spirit, you must be cautious."
「私は圏線から相手を入れない。女子であるが為に、敵を自分の近間に寄せ付けないといふ精神で、薙刀を持たせたいと思っています。」
"I do not let the opponent in from outside my surroundings. Because you are a girl, I want to have you carry a naginata with the spirit of not letting the enemy get close to you."
美田村 千代 女史
Ms. CHiyo Mitamura
1885 - 1966
京都府亀岡市 生誕
Born in Kameoka-City, Kyoto-fu
美田村 千代 女史は伝説の女性武道家。天道流第15代。薙刀術範士。武徳会本部はじめ京阪地方の女学校を拠点として薙刀指導に献身。全日本薙刀連盟の最高顧問。
Ms. Chiyo Mitamura is a legendary female martial artist, the 15th Tendo-ryu Naginata Master. She devoted herself to teaching naginata at the Butokukai headquarters and girls' schools in the Kyoto-Osaka region. She is the highest advisor to the All Japan Naginata Federation.
「薙刀少女」
千代は亀山藩士族・内藤直行の長女として生まれます。6歳のときに天道流に入門、師範・美田村顕教について修業します。顕教は武士道の衰退を嘆いて同志と亀岡に生徳社を組織して女子に薙刀を指導していました。だんだんと薙刀を修める先生も婦人もいなくなり、「女の形をした男」「女性の精神をなくした者」と見られながら、千代は7歳のとき京都堀川河田景福氏邸の庭での皇族・久邇宮ならびに賀陽宮の台覧。8歳で師範・美田村顕教の養女となります。13歳のとき三十三間堂本堂裏での皇太子殿下(後の大正天皇)の台覧。17歳ときの武徳会演武大会で異彩を放つ表彰を受けます。「剣道の要は身を捨て、義を取るにあり、君が武徳殿に闘うや、年長の敵手に対し、姿勢法を守り進退規を失せず、終に敗を取る頗る剣道の要を得たり、然るに武徳会の賞は自ら規動す可らず、因て此れに君に増する備前景光の一刀を以てするものは、其の居常訓練の素あるを認るによる幸に領せよ」
「優美」
翌年、千代は武徳会演武大会で優勝します。「清澄なる水の如き静けさを以てジリッジリッと敵陣に肉迫しようとする」「悠々と迫らざるうちに敵を圧する立ち合いぶり」続いて特別賞、済寧館(皇居内道場)での演武などの輝かしい武道歴を経て、千代は顕教と共に武徳会本部に薙刀術部を発足、多くの人を一斉に指導する教授法を考案して指導にあたります。そこで千代は福岡から上洛して武徳会で剣術修行中の佐野邦彦と結婚。2男4女の教育から、義母とともに9人家族の家事一切から衣服の仕立てまで全て夜なべで人様の厄介になる事もなく片付けます。千代は京都女子師範学校はじめ京阪各地の高等女学校等の武道教師として活躍します。実技稽古で生徒達が汗をぶるぶるかいて必死になって入れ替わり立ち替わりかかっていっても、千代はさらっと疲れの色もなく何人でも受けます。「小柄で華奢な身体ながら、立ち居振る舞いは優美な中に毅然とした姿で気高く」「太刀を持つと樫の太刀がまるで薄い刃のついた本物の刀を使っているような錯覚を覚える」「技が綺麗で格調高く、薙刀の神髄をいかんなく発揮している」千代は46歳で天道流免許皆伝を許されます。
「済美」
満州事変以来「大和魂」「女子武道」がやかましく叫ばれるようになると、小中学校体育授業科目が改正され、体操中心の女子体育に武道が加えられます。剣道・柔道・弓に倣って流派を統一するために、武徳会は全国調査の上で天道流・直真影流を代表的なものとして「薙刀学校形」を制定。国民学校生徒に対して作製された「薙刀道基本動作」に反対する千代は武徳会本部より主任教授を免職されます。「不完全且つ、不合理な方法で制定された」「制定形の実施に承服しかねる」千代は夫と共に「天道流薙刀術教員養成所天道義塾」を近衛通りに創設します。「美を以て正しく目的に成熟する意」を込めた済美寮に、高等女学校及び女子師範学校の卒業者中の志願者から選抜採用された第1期生21名が入寮して、薙刀術・修身・国語・漢文・教育心理・運動生理・武道史などの授業を受けます。玄関では「照顧脚下」(自分の足元をきちんと見よ)、各部屋では「禁高言戯笑」(騒いだりふざけるなかれ)。多くの子弟の育成に専念しますが、太平洋戦争の敗戦と同じくして夫が他界。進駐軍政下にあって武道の全面禁止とともに天道義塾も閉鎖のやむなきに至ります。
「自分を慎む」
武道が禁止されてから7年後に京都で開催された戦後第1回目の武徳大会で千代は薙刀演武を披露します。その後すぐに、他の薙刀演武者らと集まって、剣道連盟から独立した薙刀独自の連盟を作ろうと相談を始めます。元皇族で元華族の山内禎子女史を会長、小西酒造12代小西新右衛門の長女・小西静子を副会長として、全日本薙刀連盟が発足。千代は75歳のときに全日本薙刀連盟の最高顧問に就任。81歳で逝去するまで薙刀を握り続けます。「同じ武道教育にも男子と女子は相違があります」「武徳会の先生方は切れるとか切れぬとか言ふことをおっしゃいますが、それは女子として必要のないことです。女子として攻撃したり争ったりする必要はありません。争わんがための武道ではありません。攻撃精神を持つ代わりに自分を慎むということをしなければなりません。」「私は専門家として仕合も致します、男子にぶつかって仕合も致しますが、私は圏線から相手を入れない。女子であるが為に、敵を自分の近間に寄せ付けないといふ精神で、薙刀を持たせたいと思っています。」「自分を防ぐといふ意味からも無手でも危険なものを自分の三尺以内に入れないといふのが、私の主旨です。」
-天道流
-天道流薙刀術
-「天道流武術のすべて : 四百年の伝統に生きる」(阿部豊子 著・出版1982年)
-「大日本薙刀道教範」(美田村邦彦 著 / 秋文堂1939年)
-「大日本武徳会武道専門学校史」(武道専門学校剣道同窓会1984年)
-「日本武道大系 第7巻」(今村嘉雄 [ほか]編 / 同朋舎出版1982年)
-「名人達人決死の大試合」(鳴弦楼主人 著 / 大日本雄弁会1926年)
-「茶道月報 (351)」(茶道月報社1945年3月号)
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