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Happy Women's Map 大阪府大阪市 最後の女山師 五代 藍子 女史 /The Last Female Mine Oner, Ms. Aiko Godai

-『五代友厚秘史』

「覚悟はできているのよ」
"I'm ready."

五代 藍子 女史
Ms. Aiko Godai
1876 - 1965
大阪府大阪市北区若松町 生誕
Born in Kita-ku, Wakamatsu-city

五代 藍子 女史は「最後の女山師」。明治初期、鉱山王の父・友厚が譲渡した三重県治田村(現・いなべ市)の治田鉱山を買い戻して鉱山経営を始めます。
Ms. Godai Aiko is "the last female mine owner." In the early Meiji period, she bought back the Hatta Mine in Hatta Village (present-day Inabe City) in Mie Prefecture, which his father Tomoatsu, a mining tycoon, had previously transferred ownership.

「男装の令嬢」
 藍子の父・五代友厚は明治初めに全国140余カ所の鉱山を次々に継承、開坑して鉱山王としての道を究めます。友厚邸の100間(182m)四方の敷地に3軒の仕舞屋を建て、1軒目にもと芸者・吉田多喜、2件目に早世した小松帯刀の愛人と子供、3軒目にもと芸者・宮地勝子を住まわせます。母・勝子の長女武子に続く次女として藍子は誕生。大阪の愛日小学校に入学すると、読み書きの勉強をよくしながら、蛙をつかんで切れた鼻緒の下駄をぶら下げてはだしで歩いて帰ってくるやんちゃ娘。9歳の時に父・友厚が逝去すると、2男4女の腹違いの子供を巡って家庭内騒動が度々勃発。本妻とは折り合いが悪い16歳の藍子は、福島の半田鉱山の事業を継いだ九里龍作と姉・武子の夫婦のもとに身を寄せます。それから単身上京して仏英和高等女学校(現・白百合学園高校)に入学。フランス語を勉強しながら、たびたび福島の龍作を訪れ鉱山経営について学びます。断髪に男下駄で早くから生涯独身を宣言します。心配するまわりの勧めで、女性教育の先駆者・下田歌子の秘書に採用されます。よく口論をしては「一度精神修養をなさったら・・・」、歌子に京都の妙心寺に送り込まれるも「精神はつかみどころがなくて理解できません」藍子は座禅修行から早々に逃げ出します。それでも歌子をよく助け可愛がられた藍子は歌子に見込まれ養子に望まれますが断ります。「私にはひそかに抱いている夢があります。」

「最後の山師」
 藍子は足尾銅山の公害問題が社会で話題になる中、藍子は広岡浅子と九州の炭坑に随行した井上秀に会いに行きます。「荒くれ者の坑夫たちと寝起きをともにして渡りあうのに懐にピストルを忍ばせていたのよ。石炭ならまだしも鉱山となると・・・」「覚悟はできているのよ」42歳の藍子は父・友厚の稼業を継ぐ気持ちで、近江の富豪・小林吟右衛門でさえ破綻をきした三重の治田鉱山を訪れ採掘権の譲渡を申し入れます。

『村有土地賃貸借契約書
「大阪市北区若松町45番地五代アイは治田村大字新町南河内において鉱山採取の目的をもって採掘を為すにつき、治田村長小高徹は土地所有者治田村を代表し左の通り契約を締結す。
以下各条の要約
事業者(五代アイ)は採掘地の借り賃として年間45円を治田村へ支払うこと、但し3年後からは毎年60円とする。飯場や小屋掛けの場所は1坪あたり5銭また3銭とする。将来、盛山となり収益が出たときは、その2/100を冥加金として治田村に納付すること。たとえ採掘許可区域内であっても流木は一切伐採しないこと。合わせて裏以外の材木を買い入れ使用しないこと。
大正8年6月30日
土地所有者 小高 徹
事業者 五代 アイ
保証人 小森 九朗・伊東 定次郎』

 42歳のアイは侍女・ウメを伴って治田村に移り住んで「女山師」となり、鉱山開発に心血を注ぎます。真っ白な木綿のブラウスに地下足袋・ニッカポッカ・六角杖で愛犬にひかれて鉱山通いを日課とします。村の若者20~30人を集め、はじめに大八車が通れる道路を切り開きます。『大通洞坑橋』の看板を掛け、三角州でできた広場に事務所と飯場を建てます。松根油で灯を取り、入口の唐箕で空気を入れ替え、坑内に2本のレールを敷いてトロッコを走らせながら掘り進めます。藍子は山のあちこちにツルハシを刺して岩石を舐めて鉱質を確かめます。それから10年、20万余の大金を投入、洞坑670mを掘り進めるもめぼしい鉱脈は出てきません。東京・大阪・名古屋から知り合いの学者や鉱山事業者が訪れます。「普通では難しい山だ。」「幕府のお手山の上部は荒らされているが、下部にはきっと大きな鉱脈がある。」事故で足を悪くしてもなお坑内のクモの巣の中を縦横に走り廻りながら、経済情勢の資金不足・よる年波に抗いながら、志半ば88歳で逝去。

-『五代友厚秘史』
-『治田鉱山史』

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