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Happy Women's Map 長野県安曇野市 ラス・ビハリ・ボース夫人 防須 俊子 女史 /The Wife of Rash Behari Bose, Ms. Toshiko Bosu

-『相馬愛蔵・黒光のあゆみ』中村屋 1968年


防須 俊子(旧姓 相馬 俊子)女史
Ms.Toshiko Bosu / Ms. Toshiko Soma
1898 - 1925
長野県安曇野市穂高 生誕
Born in Azumino-city, Nagano-ken

防須 俊子(旧姓 相馬 俊子)女史は、新宿中村屋の創始者夫婦・相馬愛蔵と良(ペンネーム 黒光)の長女で、インドの亡命志士ラス・ビハリ・ボース夫人。画家・中村彝「少女裸像」「少女」のモデル。
Ms. Toshiko Bosu (maiden name: Toshiko Soma) is the eldest daughter of Aizo and Ryo (pen name: Kokko) of Soma, founder of 'Nakamuraya', and the wife of Rash Behari Bose, an exiled Indian patriot. Model for painter Takashi Nakamura's ``Nude Girl'' and ``Girl.''

「母親の身代わり」
 俊子の両親である相馬愛蔵・良夫妻は信州穂高村から上京、東大赤門前のパン屋・本郷中村屋を買い取り、「クリームパン」「クリームワッフル」発売して大ヒット。次々に新製品を発売しながら、食堂や喫茶室などを開設して店を拡大します。敏子は穂高村に残され子供のいない叔父夫妻に溺愛されて暮らします。父・愛蔵は養蚕業の研究に没頭して春と秋には郷里に戻るものの、母・良はペンネーム黒光で明治女学校の恩師らが主宰する『女学雑誌』に記事を寄せてから農村での生活を嫌って東京から戻りません。商売が軌道に乗って新宿に本店を移す頃、ようやく敏子も上京。女子聖学院に入学して寄宿舎に入り、週末の金曜日に帰って両親のところで暮らす生活を始めます。

「家父長的母親」
 両親と同郷の気鋭の彫刻家・荻原守衛(碌山)は、ニューヨークまたパリ留学を経て新宿西口にアトリエ「オブリビオン(忘却庵)」を建てて創作活動のかたわら、新宿中村屋に毎日通って店を手伝ったり子どもの世話を買って出たりしながら、若い文士・芸術家たちが集う一大サロンを形成します。母・黒光は自分を「かあさん」「シスター」と呼ばせ、若い芸術家たちを「ブラザー」といって馴れ親しみます。碌山の「文覚像」「デスペア」「女」は傑作と評価される一方で、父・愛蔵の不倫に失望する母・黒光への碌山の苦しい思慕が世間で噂されるようになります。まもなく母・黒光の轟惑的な振る舞いに絶望した碌山は吐血して他界。「寸分も身動きが出来んよ、追い詰められたよ」新宿中村屋の奥の壁を真っ赤にします。俊子は体調を崩し寝込む母・黒光を看病します。

「悩み荒ぶる娘」
 碌山が後輩の為に店の裏に建てたアトリエで、敏子は新進の画家・中村彝のモデルをつとめるようになります。敏子は週末に帰ってくると彝のアトリエに直接向かって掃除をして花を生けて彝のモデルをつとめた後、中村屋の表口に回って黒光に「ただいま」と言います。俊子がモデルの「少女裸像」は東京大正博覧会美術展で、半着衣の「少女」は第8回文展で物議を醸すものの大好評。まもなく彝が結核にかかると、母・黒光は敏子と彝を遠ざけます。俊子は駆け落ちの計画を母・黒光に白状すると、「彼に走るのか家に留まるのか2つのうちどちらを取る」二者択一を迫られた俊子は泣きながら「家から出るようなことはしません」。俊子は女子学院に進学して寮生活を始めます。「一体お母さんはいつでも物欲しそうな顔をしているのが嫌いだ。」彝は中村屋の外にアトリエを構え俊子の来訪を待ち続けます。

「母親の犠牲」
 インドからの亡命したラス・ビハリ・ボースが中村屋にかくまわれ、英語が堪能な俊子が連絡係に選ばれます。数か月後経った頃、敏子は世話役の頭山夫妻はじめ両親からボースに嫁いで身辺を守るよう打診されます。1か月思案した挙句「行かせてください」。犬養毅と後藤新平を保証人として、頭山邸で盃ごとをして直ぐに潜伏生活を開始。外部からの襲撃に備えて、なるべく高い塀の陰とか崖の下とかうす暗い家を求め、1年経つと夜の間にこっそりと他に移るという風で6年間で17回転居。母・黒光が自宅を解放して戯曲の朗読会・演劇公演を催して文学・演劇・政治の支援活動に精を出す間に、敏子はほとんど太陽を見ることなく昼も夜もボースの身辺を守りながら正秀と哲子を出産します。第1次世界大戦が終結して日英同盟廃棄されると、ボースは大使館に出頭して日本に帰化。青山隠田に太陽の光が十分に入る家を建て健康的な生活をはじめる矢先、敏子は肺炎に倒れ28歳で逝去します。

-新宿中村屋
-『黙移』相馬黒光 法政大学出版局 1977年
-『相馬愛蔵・黒光のあゆみ』中村屋 1968年

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