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Happy Women's Map 山口県下関市 日本女性初ベストセラー童謡詩人 金子みすゞ 女史 / Japan's First Female Best-Selling Poet for Children, Ms. Misuzu Kaneko

-金子みすゞ記念館 / Kaneko Misuzu memorial Museum

「みんなちがって、みんないい」
"We are all different and all wonderful."

金子 みすゞ 女史
Ms. Misuzu Kaneko
1903 - 1930
山口県長門市仙崎 生誕
Bron in Nagato-city, Yamaguti-ken

金子みすゞ女史は女性童謡詩人の草分けです。彼女は詩作という自己表現だけでなく、彼女は幼い娘の親権を夫と争う中で、当時の家父長制度また親権制度を強い意志で拒絶しました。
Ms. Kaneko Mizusu is a pioneer among female children's poets. Not only did she express herself through her poetry, but she also staunchly rejected the prevailing patriarchal and custody systems of her time while fighting for custody of her young daughter against her husband.

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「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」
 金子みすゞ、本名テルは山口県大津郡仙崎村(いまの長門市仙崎)で父・母・祖母・兄・弟の6人家族で育ちます。父・庄之助は下関の書店「上山文英堂」の清国営口支店長として中国で日本人最初の書店を切り盛りするも、みすゞが3歳のときに清国で不慮の死を遂げます。「お父ちゃん、おしえてよう」。兄・堅助は15歳で家督を継いで仙崎で唯一の本屋「金子文英堂」をはじめ、弟・正祐は、母の妹・フジの嫁ぎ先である下関の上山家に養子としてもらわれます。祖母・ウメから浄瑠璃の物語を聞かされながらテルは瀬戸崎尋常小学校で1年から6年まで級長をつとめ、母・ミチと兄・堅助を手伝いながらテルは大津郡立大津高等女学校に入学。まもなく叔母・フジが病死すると母・ミチは下関の上山家の後妻となります。堅助が新刊本を持って学校まわりしている間、テルは祖母と一緒に店番に出て学校が終わって遊びに来る子どもの相手をします。「一つのものを見て、たくさんの言葉を考えるの。そして、その時その時で、一番ぴったりの言葉を見つけるの。そうすると楽しいよ」。やがて大きくなった弟・正祐が遊びに来るようになり、きょうだい3人で演劇・演奏会に出かけたり、ラジオや蓄音機を聴きながら音楽また文学論議に花を咲かせます。兄・堅助がテルの同級生・チウサと結婚すると、折り合いの悪いテルを母・ミチが下関に引き取ります。

「きょうの私にさよならしましょ」
 20歳のテルは上山文英堂の支店の「商品館」の店番を任されます。関東大震災で奉公先から帰郷した弟・正祐と新劇鑑賞をしながら、競って雑誌への作品投稿を始めます。この頃、鈴木三重吉が創刊した雑誌『赤い鳥』から日本の童謡運動が興り、有名・無名の若手や児童を含む幅広い年齢層の人たちに創作の場を与えます。特に、北原白秋と西條八十が選んだ投稿者の中には作品が雑誌に連続して掲載された後に童謡集が出版され、童謡詩人としての地位を確立した人物も育ちます。テルも「金子みすゞ」というペンネームで童謡の投稿を始め、百通以上の葉書を毎月のように出版社に送ります。「英のクリステイナ・ローゼツテイ女史に遜らぬ華やかな幻想」と童謡作家・西條八十に絶賛され、テルの作品は次々と八十が主宰する雑誌『童話』を中心に掲載されます。テルは筆まめに八十へは勿論のこと投稿仲間にも長文の手紙を書き続けますが、やがて八十がフランスに留学するとテルの作品はあまり掲載されなくなります。落ち込んで寝込むテルを励まそうと弟・正祐は同級生を集めて「童謡の夕べ」を開催、『赤い鳥』に採用された楽曲を自ら演奏、テルに雑誌に掲載された童謡を朗読させます。一方、叔父・松蔵は正祐が成人するまでの店長代理として上山文英堂の番頭格・宮本啓喜を抜擢、ゆくゆくのれん分けを約束して23歳のテルとの縁談を進めます。啓喜は継母との折り合い悪く小学校卒業前に熊本人吉から博多へ出て独学で商売を学んだ苦労人、丈夫で商才も根性もある芝居好きの飄々とした笑顔の美男子でテルも気に入ります。2人は上山文英堂の二階で新婚生活を始めます。

「明るい方へ明るい方へ」
 弟・正祐は声楽家になりたいと家出、戻ってからは遊郭に通い始め、縁談は次々と断られ、やがて映画・演劇の仕事を求めて上京。テルは映画・演劇雑誌の編集者・古川緑波に推薦状を送って弟の就職を後方援護します。夫・啓喜は商売熱心ながら、正祐を溺愛する叔父に冷遇され、まもなく上山文英堂を追われます。妊娠中のテルは夫に従って借家に移り、長女ふさえを出産。夫・啓喜は食料玩具問屋「辰巳屋」を始め、子供の駄菓子や玩具を大阪の玩具商から買い付け、警察の取り締まりの厳しいくじ付き駄菓子も扱って、山口県内はもとより九州各地の仲買に卸し、商売を軌道に乗せます。ところがテルは夫の商売を快く思わず、店を手伝うことなく家事と育児の合間に詩を作り、商品館を拠点に童謡仲間と文通のやりとりを続けます。その頃、帰国した西條八十が雑誌『愛誦』を創刊、テルは再び熱心に作品を投稿し始めます。八十の強い推薦のおかげで「童謡詩人会」の入会が認められ、金子みすゞは与謝野晶子に次いで女性童謡詩人となります。さらに、ふさえをおぶって、九州へ講演に赴く西條 八十に下関駅まで会いに行き、詩集出版の協力を取り付けます。「お目にかかりたさに、山を越えてまいりました」。一方、妻の理解を得られない夫・啓喜は陰気になり遊郭通いで家に寄り付かず生活は困窮、テルは「放蕩無頼の人」と軽蔑します。テルは詩集を完成するも夫に移された淋病が悪化、27歳の時に離婚を決意してふさえを連れて上山文英堂に移ります。夫・啓喜は離婚には応じたもののふさえを引き取ってもう一度立ち上がりたいと手紙で懇願するも、テルは断固拒否して枕元に遺書3通と詩集2部を残し、睡眠薬を飲みます。夫には「あなたがふうちゃんに与えられるのはお金であって、心の糧ではありません。」ミチには「ふうちゃんのことをよろしくお願いします」、正祐には「さらば、われらの選手、勇ましくいけ」。テルの詩集は一部は西条八十に送られ、もう一部は弟・正祐に遺されます。ふさえは後々に啓喜の元から嫁ぎます。

-金子みすゞ記念館 Kaneko Misuzu memorial Museum

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