見出し画像

Happy Women's Map 東京都 概念芸術・複合媒体芸術の先駆者 ヨーコ・オノ・レノン 女史 / A Trailblazer in Conceptual Art and Multimedia Art, Ms. Yoko Ono Lennon

「1人で見る夢はただの夢、みんなで見る夢は現実になる」
"A dream you dream alone is only a dream. A dream you dream together is reality. "

ヨーコ・オノ・レノン
Ms. Yoko Ono Lennon
1933- 
東京都千代田区富士見 生誕
Born in Fujimi, Chiyoda-ku, Tokyo

ヨーコ・オノ・レノン女史は概念芸術また複合媒体芸術の先駆者です。1960年代初頭からニューヨーク、東京、ロンドンに住みながら、概念芸術、舞台芸術、映画製作、実験音楽で世界で先駆的に活躍。日本女性で初めてグラミー賞・金獅子賞を受賞。
Ms. Yoko Ono Lennon is a trailblazer in conceptual art and multimedia art. From the early 1960s, she has been at the forefront of conceptual art, performance art, filmmaking, and experimental music, living in cities such as New York, Tokyo, and London. She has made groundbreaking contributions worldwide. She was the first Japanese woman to receive the Grammy Award and the Golden Lion Award.

「おそらく自分の最初のアート作品」
 安田財閥の大屋敷に洋子は誕生します。父親・英輔は日本銀行総裁の息子として横浜正金銀行サンフランシスコ支店に勤務。母親・磯子は安田財閥の孫として大屋敷で数十人もの使用人を采配して社交に大忙し。洋子は両親の愛情表現またスキンシップを受けることなく育ちますが、かつてピアニストまた画家を目指した父親また母親によってピアノまた芸術の教育を授けられます。まもなく父親の転勤に伴って、洋子は日本とニューヨークを行き来しながら育ちます。学習院初等科、ニューヨーク・ロングアイランドのパブリックスクール(公立小学校)、学習院女子中・高等科を経て、学習院大学の哲学科に入学。太平洋戦争が激しくなった折には、疎開先の田舎で自分の持ち物を食べ物と交換しながら空腹をしのぎ、弟とふたりで夕食に何が食べたいかを想像して過ごします。

『踏まれるための絵画(Painting To Be Stepped On)』
 やがて敗戦後の日本でアメリカのポップカルチャーが流行する中、洋子は先進的な校風で知られるサラ・ローレンス女子大学に入学して英文学・作曲・芸術などを学びます。まもなく洋子は、ジュリアード音楽院で学んでいた前衛作曲家でピアニストの一柳慧と出会い、前衛芸術に傾倒していきます。同大学を退学して結婚すると、2人は反対する両親から離れて、バーのピアノ弾きと日本協会での事務仕事をしながら、ジョージ・マチューナスらはじめ前衛芸術家集団「フルクサス」と共に活動を開始。27歳のとき、洋子と慧はマンハッタンのアパートをスタジオ兼居住スペースとして借り、若手アーティストに発表の機会を与えたり、社交力を生かしてマックス・エルンスト、イサム・ノグチ、マルセル・デュシャン、ペギー・グッゲンハイムらを招いてアートイベントを開催します。ここで洋子は、床に置かれたキャンバスを観客が踏みつけることで完成するコンセプチュアルアートを発表します。さらにカーネギー・リサイタルホールで、フルクサスのメンバーと実験音楽会とアートパフォーマンスを発表します。

『カット・ピース(Cut Piece)』
 29歳の洋子は、一足先に帰国していた慧を追って日本に帰国。草月会館にて洋子は、観客に自身の衣装をはさみで切り取らせるパフォーマンスアートを発表。慧の実験的音楽作品は日本の音楽界に熱狂的に迎えられる一方、洋子は当時の日本の評論家らに執拗に酷評されます。「時代遅れ」「彼女のアイデアはすべてニューヨークの人々の借り物だ」。深く傷つき自殺未遂を起こした洋子は精神病院に入院。するとアメリカの映像作家アンソニー・コックスが毎日のように花束を持って洋子の病室に通ってきます。やがて洋子は精神病院を退院、アンソニーと結婚します。2人で東京渋谷の外人村で通訳・翻訳をしながら暮らし始め、表現活動を始めます。翌年には娘のキョーコをもうけるも、母親になることに戸惑いのある洋子は夫と娘を日本に残してひとりニューヨークに戻ります。

『グレープフルーツ(Grapefruit)』
 洋子はアメリカに亡命していたドイツ人作曲家シュテファン・ヴォルペと彼の3人目の妻で詩人のヒルダ・モーリーと親しくなります。バウハウスで学んだ2人からアートセラピーの概念を活かした進歩的な音楽また芸術教育について学びながら、詩を共作します。31歳のときに、セルフケアとしてアートを捉えなおした詩集を東京から発表。「叫びなさい。一、風にむかって。二、壁にむかって。三、空にむかって。」。やがて英語版が世界中で発売されると熱狂的に受け入れられ、人々を元気づけます。洋子は自分を立ち直らせるように、自ら「インストラクション・ピース」と呼ぶセルフケア・アートに傾倒、ジェンダーや人種の偏見に直面しながらアーティストとしての基盤を形成していきます。

『No.4 通称ボトムズ(bottoms)』
 洋子は33歳のときに、ロンドンの現代芸術協会に招かれて渡英。夫のアンソニー・コックスと一緒に、ロンドンの知識人365人の服を脱がせてお尻のクローズアップショットを撮影。1時間あまりの長編実験映画作品として発表すると、町を歩いていても通行人がヨーコヨーコと声をかけてくるくらい話題となり、家族3人でロンドンに活動拠点を移します。洋子は仕事で忙しくする中、夫と娘に「ママ、公園に一緒に行こう」と催促され仕方なしに一緒に出かけるも淋しくて退屈します。家族の南フランスへの長期休暇も洋子は仕事を優先させ、夫と「ママ、ママ」と泣き叫ぶ娘の二人だけを送り出します。

『天井の画 (Ceiling Painting/Yes Painting)』
 そんな中、ロンドンのインディカ・ギャラリーでの個展「未完成の絵画とオブジェ」の準備中に訪れたジョン・レノンと出会います。地下室の展示室に案内されたジョンは、天井に張り付けられた画を見ようと梯子を登って天井から吊された虫眼鏡を覗くと小さな「YES」という文字を見つけ大興奮。ヨーコはジョンに寄り添うように他の作品を案内して廻ります。2人は文通を始め、洋子のロンドンのリッソン・ギャラリーでの全オブジェが半分の形で展示された個展「ハーフ・ア・ウィンド・ショー」の後援をジョンが引き受けます。

『平和のためのベッド・イン(Bed in for Peace)』
 洋子とジョンはベトナム戦争に対する抗議運動を立ち上げます。洋子はジョンの妻の留守中に彼の自宅を訪れ、前衛的なテープループセレクションを一晩中録音。2人の最初の共作アルバム『Unfinished Music No. 1: Two Virgins』として 2 人の未修正ヌードの表紙とともに発表します。洋子はビートルズのアルバムにも追加ボーカルまたサウンドコラージュを提供。洋子は35歳のときにジョンとジブラルタルの登記所で結婚式を挙げ、新婚旅行をアムステルダムで過ごしながら1週間にわたる平和のためのベッド・インを敢行。米国で入国を拒否された2人は、モントリオールのクイーン・エリザベス・ホテルの部屋でコンサートを開催しながら『Give Peace a Chance』を録音します。プラスチック・オノ・バンドを結成して、クリスマスのロンドンでユニセフ主催『ピース・フォー・クリスマス』コンサートに参加。「WAR IS OVER! IF YOU WANT IT」を発表しながら、ニューヨークのタイムズスクエアなど世界11都市で一斉に看板を設置、ポスターまた新聞広告を出して平和キャンペーンを敢行します。

『ウィッシュツリー(Wish Tree)』
 「ビートルズを解散させた女」として数多くの非難と中傷が洋子に浴びせられる中、洋子とジョンはニューヨークに移り住みます。洋子はエバーソン美術館で回顧個展『ジス・イズ・ノット・ヒアー』を開催する一方で、ジョンと2人で反戦文化人の即時保釈を求める集会や北アイルランド紛争に抗議するデモへ参加、刑務所で起きた暴動の被害者また知的障害を持つ子どものための救済コンサートに出演。そんな中で洋子は42歳で息子・ショーンを出産、ジョンは育児と家事に専念するも5年後に洋子の目の前で暴漢に射殺されます。直前に発表したジョンとの共作アルバム『ダブル・ファンタジー』がグラミー賞年間最優秀アルバム賞を受賞します。しばらくして56歳の洋子はホイットニー美術館で回顧展を開催、アート活動を再開します。これまでの作品を石化したブロンズとして青銅で鋳直す一方、全白のエナメルを施して敵味方の区別のつかないブロンズのチェスセット『Play it by Trust』を鋳造します。さらに観客ひとりひとりが願い事を書いて木に吊るす参加型アートプロジェクトをフィンランドから開始。近年はソーシャルメディアを活用してメッセージをさらに幅広い聴衆に伝えています。「自分を信じれば世の中を変えられる」。

-Yoko Ono via MOMA
-Imagine Peace Yoko Ono

Happy Women's Map
Happy Women's Map

Share Your Love and Happy Women's Story!

あなたを元気にする女性の逸話をお寄せください!
Share your story of a woman that inspires you!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?