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『栗ケ丘7①』

プロローグ 「そして事件は突然に」

今日も今日が始まり、なぜか僕は走っている。

「大変っ!大変よ正一くん!」
どうしていつも…。

位置についてー、

「事件よっ!」
事件って奴は…。

よーい

「栗ヶ丘7(セブン)、全員集合よ!」
急なんだ。

どん!

「リレーの練習が始まっちゃうよ。おいらアンカーなのに」
真っ黒な顔に大きな耳、カモシカのように細くて筋肉質な足を持つ、俊足の寺内健太が言った。相変わらず太腿をしっかりと上げる、教科書通りの走り方をしている。健太が運動神経がいいのは、きっと大工の棟梁をしている父親譲りだろう。
「ぼく、まだ唐揚げ食べてない」
その横でぼやくのは、手には棒が付いた飴を握ったままのお腹が重そうな中田大地だ。大地の家は、和洋折衷なんでも取り揃えた美味しい食堂、『ぽんぽこ』を営んでいる。学校帰りに通る道すがら、店の換気扇から漂ってくる匂いは、大人だけでなく子供の食欲もそそる。あんな美味しい料理を毎日食べていれば、誰でも大地のような体格になってしまうのだろう。
「とにかく急ごう」
そして、見た目なんの変哲もない僕は目黒正一。栗ヶ丘町役場の交通建築担当課に赴任してきたお父さんと一緒に、今年の春転校してきたばかりだ。この学校に来てまだ半年も経っていないが、こうしてひょんなことから『栗ヶ丘7』として活動するはめになった。

チーム結成のいきさつは、また後で。

徒競走でもないのに慌てて走る僕らをよそに、スコーンと抜けた青い空には、ひとつの雲も浮かんでいない。
その代わりに、大きな白い玉と赤い玉が、生徒達の手の海を、かったるそうに回転している。

「どうして大玉転がしの最中に呼び出すのですか」
消え入りそうな声で喋りながら、ずり落ちる眼鏡を気にする、アインシュタインみたいな髪型の土谷悟が続いた。内気で人見知りだが、悟も外すことのできない、大事なチームのメンバーだ。
「ごめんごめん。かおりちゃんから緊急召集がかかって」
「まったく女って、わがままなんだよね。大体正一が優し過ぎるから、かおりちゃんがつけあがるんだよね。あと、緊急召集をかけることができたのは、僕のパパが全員にキッズ携帯を買ってくれたからなんだよね」
栗林秋彦は、色白でもやしのようにひょろりとしている。僕と同じ小学五年生なのに、子供と大人が同居しているみたいな顔をしている。祖父の栗林権造は栗ヶ丘の大地主で、父親の栗林秋造は栗ヶ丘小学校のPTA会長。駅から自分の土地以外を踏まずに自宅に帰れるほどの名士で、知らない人がいないという。そんな大金持ちの一人息子として育てられた秋彦は、風邪を引きやすいので、いつも首に赤いバンダナを巻いている。
まるでカウボーイみたいだ。

「それで、現場はどこなの?」
と、尻尾を振りながら興味津々な顔を向けているこの雑種犬は、名前をナナという。僕ら六人がよく行く駄菓子屋『ノア』の看板娘、いや看板犬だ。首には、『7』の形をした発信機を装着している。
五人と一匹で勢い良く駆け上がる薄暗い階段は、季節に関係なくひんやりとして乾いた風が吹く。時折窓から差しこむ光が、何十年も前の卒業記念で贈呈された、白雪姫の継母が覗きこむ鏡のような不気味な鏡に反射した。

「正一くん、まだ?僕、卵焼き食べないと元気出ないよ」
「もう少しだから頑張ろう」
昔はきれいなはずだった水色の壁は、たくさんの子供達が触った手の垢で変色して所々がもみじ型に黄ばんでいる。
なかなかの急勾配な階段を登りきって、左に続く長い廊下を六人はただひたすら疾走した。
到着すれば、何か厄介な事件が待ちうけているはずだ。

「もう、遅い!何やってたのよ!」

廊下に仁王立ちで、腰に手を当ててフグみたいに頬を膨らませて怒っている美人は、花沢かおり。かおりはいつも学年で成績トップ。これは、開業医である父親の血を受け継いだのだろう、自信満々だ。真っ黒ストレートの自慢の髪を、黄色いリボンで一つに結んでいるのがトレードマーク。少々性格がきついのが玉にキズだけど。
「ごめんごめん。みんな運動会の準備や出場中で忙しくて。集めるのに時間かかっちゃった」
「正一くん、事件は待ってくれないのよ。遅刻は命取り!」

 びくびくしながら教室の中に入ると、かおりちゃんを筆頭に、ずらりと勢ぞろいした女の子が一斉に恐い視線を僕に浴びせた。これではまるで、蛇に睨まれた蛙のようだ。
「すみません」
「まあまあ。いいじゃないか、かおりちゃん。そんなことより事件って、一体何が起きたの?」
秋彦は僕を押しのけて一瞥すると、探偵気取りで腕を組んだ。

事件が起きたのは三階の階段から一番遠い角の教室、「四年五組」だった。

被害者である三好理絵が、群衆の後ろから押し出されるようにもそもそと出てきた。
「私は、午前最後の競技、『騎馬戦』で使う紅白帽を忘れたことに気付いて、友美に付いて来てもらって教室まで取りに戻ったの」

今から二十分程前。
「わたし、騎馬戦怖いなあ」
「なんでよ?私がついてるから大丈夫だって」
「でも、三組の安田さんって細いけど、ものすごく腕力があるって聞いたし」
「そんなのへいちゃらよ。騎馬の私が、俊敏さで上手くかわしてやるからさ」 
「でも。上に乗るのも恐いし」
「まったく理絵は気が小っちゃいんだから。任せておきなさいって」  
そんな風に二人で話しながら、教室のドアを開けたのだという。確かに二人の他に誰もいなかったし、いたような気配もしなかったのだという。

 「最初は、特に様子が変わっていると思わなかったんだけどね」

異変に気がついたのは、友美だった。
「机の上に置いてある着替えの袋が、微妙に違うって思ったの。自分でも分からないんだけど、何て言うか違和感があったの」

繊細で用心深い観察眼がある彼女は、一応中身の確認してみようと袋を手に取った。
「なんか変じゃない?」
友美は自分が今日着て来た服装を思い出しながら、着替え袋の中を取り出して確かめた。丸首の赤いトレーナーとチェックのブラウス。それからジーンズのスカート。
「なんだ。平気か」
と、取り出した洋服をきれいに畳んで元通り袋に仕舞おうとした瞬間に分かった。
「どうしたの、友美?」
「あたしの、あたしのお気に入りのキャミがない!」

「キャミって何?食べ物?」
「大地、違うよ。キャミって多分、どこか地方の方言で、神(カミ)様のことだよ」
「健太くんも違う。キャミは正式に言うとキャミソール。男性で言う所の、ランニングシャツみたいなものだよね」
すると友美は、得意気な秋彦の前にある机を、バンっと勢い良く叩いて喚いた。秋彦よりも十センチ以上背が高いだろう友子の位置から繰り出される大きな声は、秋彦に怒涛の連続ことばパンチをお見舞いした。
「ランニングシャツとなんか一緒にしないでよ!私のキャミはねえ、前にピンクのチューリップが刺繍してあって、ネット限定のそれはそれはとっても可愛いキャミなんだから!」
「それに、盗られたのは友美のだけじゃないの。恥かしいんだけど、私の見せパンも無くなっていて。同じクラスの他の子にも聞いてみたら、なんと全員が何かしら盗られていたの」
「全員だって?」

今から二十分前と言えば、競技が始まって一時間半は経っていた。
「運動会の開会宣言が午前八時」
「その後、校長先生の話と準備運動があったわ」
「それから、紅白それぞれの応援団がエールの交換をしたよ。僕、その時鮭のおにぎりを食べてたから、よく覚えてる」
「大地くん、もうおにぎり食べたの?」
「へへ。我慢できなくて。でも一個だけだよ」

 それまで静かにしていたナナが、ご自慢の嗅覚を研ぎ澄ますように床の至る所を鼻で濡らし始めた。それを見た四年五組の女の子達が小さな悲鳴を上げつつ、ざわつき始めた。
「ちょっと。どうしてここに犬がいるわけ?学校に入れちゃいけないんじゃない?」
「ごめんよ。でも、この子も僕達の大事なチームメイトなんだ。むやみに鳴いたり、ましてや噛んだりなんて絶対にしないから安心して」
文句を言われても気にせず、ナナは黙々と捜索活動を始めたようだ。

 「それより、さっきの続きだけど」
みんなで熱心に運動会の流れを思い出していると、悟が首に提げていた最新式の小型カメラを差し出した。
「これ。最初から運動会を映しています」
「さすが。悟くんはメカニックだからね。こういう時に助かるなあ」
正一は、その小さな小さなカメラを悟から手渡されると、早速巻き戻しボタンを押した。
「って、今時みんなカメラくらい持ってるだろう?それにメカニックっていうのは、ものすごくパソコンの使い方に詳しいとか、またITシステムに長けているような人のことを言うんでしょ?悟くんは家が電気屋だから、一般の人よりも少し早く最新の電子機器を持っているってだけじゃない?」
正一に誉められて、右端の口角を上げて喜んでいた悟の顔が、一瞬で曇ってしまった。
「いいじゃない。確かに今時デジカメくらいみんな持っているけど、この場所で今すぐに出してくれたのは悟くんなんだから。それに、本当に悟くんはメカニックじゃない!秋彦くんってそういう所、嫌味よね」
かおりはまたフグみたいに頬を膨らませると、大袈裟に「ふん」と言って、秋彦に背中を向けた。
「いや、かおりちゃん。嫌味で言ったんじゃないんだよね。その、言葉の使い方って大切だから、間違った表現をすると間違ったまま覚えてしまうから。その、何て言うか」
なんだかんだ言って、秋彦もかおりちゃんには弱いのだ。

そんなやりとりをよそに、小型カメラは鮮明な画像で運動会の詳細を録画していた。
「そっか、大玉転がしが始まる前だから、買い物競争の時だ」
買い物競争は応援団のエールの交換の後、バトン部と吹奏楽部による華やかなパレードが終わったと同時に始まった。いつもなかなか面白い注文がメモに書いてあるので、会場が盛り上がる種目の一つだ。

「去年私出場したんだけど、メモに何て書いてあったと思う?」
「何何?」
「理科実験室のガイコツよ」
「うげー!おいらだったら無理だ。実験室に入るのも恐くて無理だもん」「でしょ?どんな奴が考えたんだか知らないけど、頭きちゃう。もし誰か分かったら、とっちめてやらなくちゃ気が済まないわ」
去年の買い物競争のメモを作成したのは、秋彦だ。彼はかおりちゃんの視界に入らないように隅に寄った。

 「生徒はもちろん、先生達も買い物競争には出場するから、校内にはほとんど人がいなかったというわけだ」
「きっと、犯人はそれを狙ったのね」
緊迫した空気が流れた。運動会の流れを熟知している人物ということは、やはり学校関係者の犯行だと考えるのが妥当だろう。
「ねえ、チョコレート食べていい?」
さっきまで握り締めていた棒付きの飴はもう大地のお腹の中に消えてしまったらしい。

「ねえ、正一くん、いい?」
「いいよ。でも、ゴミはちゃんと後ろのゴミ箱に捨てるんだよ」
僕がそう言うと、嬉しそうに頷き、大地は傘の形のチョコレートをポケットから取り出した。何でも飛び出してくる大地のポケットはきっと、四次元ポケットなのだろう。そして、チョコを包んでいた銀紙を素早く取り除くと、きちんと教室の一番後ろにある青いゴミ箱に捨てに向かった。
「はー。チョコおいしい」
重い体でスキップしながら、少し脂肪を消耗するように後ろに行くと、ゴミ箱に前足をかけて、尻尾を振りながら立ち上がっているナナがいた。
「何?ナナ。ゴミ箱の中に何かあるの?もしかしてお菓子?」
大地は、ゴミ箱の中に顔を突っ込んでいたナナの両脇を抱えて、代わりに覗きこんで見た。
「ん?」
丸められた新聞紙がたくさん捨てられてあった。
「なんだー。新聞紙じゃない。どうしたのナナ?」
それでもナナは尻尾を激しく振ったまま、そこから断固として動こうとしない。
「何?」
ナナは首を縦に振った。
「下を見ろってこと?」
ナナは首を上下に振った。
「しょうがないなあ。見てみればいいんだね?汚いからやだなあ。よっこいしょ」
と、大地はゴミ箱の中にある大量の新聞紙を取り除いていった。半分くらいどけて手を当てると、紙だけではない柔らかい感触が伝わってきた。なんだかそれは、布のような綿のような。恐る恐る新聞紙をめくる。
「あー!あったー!」
黒板の前で相談していた全員が、飛び上がるほどびっくりして振り向いた。「ちょっと!びっくりするじゃない、大地くん!」
「かまって欲しいとか冗談とかなら、よしてほしいよね」
「大地くん、今大事な話してるからちょっと待ってね。お弁当の時間までには、いったん戻るようにするからさ」
気を取り直して相談が始まる。

「話を戻すよ。例え時間があったにせよ、なぜ三階の四年五組を敢えて狙ったのか、だよ。しかも一番奥の教室だろ。時間がかかるって思わなかったのかな」
「そうよね。二階の六年生の教室でも良かったし、三階にしたって、手前の教室の方が逃げやすいのに」
「おいらの俊足を使ったって、逃げるのに時間がかかるよ」
健太は自分の足を持ち上げ、自慢のふくらはぎに力を込めた。

袋を開いて下着だけを探る時間もあり、また逃げる時間もある。確かに校舎にいた生徒や先生は午前八時からいなくなったが、最初は点呼や人数確認をするので、生徒が一人だけいなくなると目立ってしまう。ということは、その時は犯人も校庭にいただろう。それに、三好理絵が大橋友子と教室に戻ってきたのは、最初の種目『買い物競争』の時だ。

「ってことは、買い物競争に出てない生徒が怪しいのよね」
「そんなのたくさんいすぎて、わからないよ」
分からなくなってきた。生徒がうろうろすれば、いやでも目立つので犯行は難しいだろう。
「犯人は、四年五組狙いだったのよね。きっと理由があるんだわ」
「そうだね。ぼくも五組じゃなくちゃいけない理由があったんだと思うよ」再び、大地が声を張り上げた。
「ねえねえってば!」
「何?」
群衆は再び大地を睨み、溜息をついた。

「正一くん、いいから来てよ。早く早く」
「ほら、お呼びだよね正一。治まりそうにないから見てきてあげなよ」
尋常ではない身振り手振りで、大地はゴミ箱を指差した。
「それ何?『キャンプだホイ』の振付けか何か?」
「そーじゃなくて、ここ、これ見て正一くん!」
その横でナナも、尻尾が何本もあるように見えるくらい早く激しく尻尾を振っていた。
「どうしたの?ん?ゴミ箱?」
「そうだよそうだよそうだよ。ゴミ箱にたくさん入ってるよ」
ナナが頷く、いや、頷いたように見えた。
「大地くん、ゴミ箱にはそりゃゴミがたくさん入ってるさ」
「ちがうんだよ。いいから中を見てみてよ」
教室の隅で、いつもひっそりとゴミを受けとめる青いゴミ箱。何も言わずに汚いものを包み込み、文句も言わず職務を全うしている。
普段は、バイキンが付きそうだから触るのもいやだけれど、僕は中を覗いた。

「これは!」
「ね?みんなの、女の子達が盗られたやつじゃない?」
「本当だ!偉かったね、大地くん。みんな来て!ここにあるよ。みんなの盗まれたものが!」
「だからさっきから言っていたのにさ。みんなわかってくれないんだもの」怒った大地の頬っぺたは、触ったらパチンと割れそうなほどに膨らんでいた。

発見された、くしゃくしゃの下着達。カラフルでキュートな女の子達のキャミソールやらハンカチやら見せパンやら何やらが、重なり合ってゴミ箱の中で助けを待っていた。
ゴミ箱をひっくり返し、それぞれの元へ全てが戻った。

はずだった。

「私のが無い!私のだけが無いの!」
そう言って泣き出したのは、背の高い大橋友美だった。
「一体どういうこと?」
「訳がわからないよ」

この事件は、まだ解決していない。

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