1.Slow Start 【マジックリアリズム】
夕刻の海岸沿いを歩いて数分。
古い木で造られた重い扉を開ける。
ライブハウスとバーとカフェの合わさったようなその店の、カウンターの右から2番目が、僕の指定席だ。
「ドリップ、アイスで?」
背の高いマスター、いつも着心地の良さそうなエスニックの服を着ている。
「ううん、ラッシーで」
「めずらしいね、OK」
アボリジニアートを思わせる生地の柄が艶めかしく、ランプの灯りの下で揺れる。仕入れの旅に出るたびに、彼の装いに新しく異国のエッセンスが追加されていく。
彼の、とは言ったものの、マスターが男なのかどうなのか、本当のところは僕
も知らない。
「はい、ちょっと濃いめにしたよ」
「ありがと」
とろんとした甘さが舌の上に転がる。
生ぬるい初夏の風に乗る、BGMの弦の音色。棕梠の葉の合間から届く、潮の香。
「もうじき食べごろだから、バナナ持って行きなね」
「うん。朝ごはんにする。朝か、昼かよくわかんないけど」
「よさそうな仕事ないんだ?」
「さっぱり。潰しが効かないもんなのかな、前職がWEBデザイナーって」
「ネット関係をやってほしい人はいるよね、きっと。僻地だし、リモートでできそうな気もするけど、そういう仕事だったら」
「会社が受注した仕事ばかりしてたから、どうやって仕事を得るのかわからない」
ギターの音色が変調して、プレイリストの次の曲に移る。西海岸の音楽は、耳に馴染みやすい。
「就職先を探してるわけじゃないんだね」
「転職活動していたら、勤め人には向かないのかもしれないと思えてきた」
「WEBの知識を生かす方向?」
「それもまだわかわからない。でも、発想ベースの仕事じゃないと難しいかもしれない」
「感覚的な感じだもんね、トニーくんは」
「そうなのかな、そうかもしれない」
「ご飯にしようか、とりあえず腹ごしらえ」
葉野菜に包んで食べる、挽肉を使ったカレーピラフ。胡椒が効いたジャスミンライスは口あたりがよく、いつも少し食べ過ぎてしまう。
鞄ひとつというわけにもいかず、コンテナひとつでこの土地にやってきた僕はまだ仕事を見つけられない。
代わりに、昼寝にぴったりの素晴らしい眺めの堤防や、焼きたてはもちろん時間が経っても柔らかいパンの店、夜ご飯に毎晩来てしまうほど安くて美味しい料理の出てくるこのカフェバーと出会い、モラトリアム感でいっぱいの初夏。
若いソロシンガーがやって来て、オリジナルソングを唄う。レゲエの快適な気だるさと、軽快なウクレレの音色が耳に心地いい。
不思議と不安が和らぐのは、現実逃避に他ならないのだろうか。
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これは、僕の物語。
まだまだこれからだと言い聞かせて進む、修行のような日々の記録。
青年にしてはやや遅い、青春めいた魂の軌跡。
・・・なんて、かっこよく語るほどでもないような、書くのも読むのも恥ずかしいようなブログみたいになってしまうかもしれない。
それでも、しばしのあいだ、お付き合いいただけたらとても嬉しい。
物語の結末、言葉にできないような揺るぎない決意と、雑音に惑わされずに生きる逞しさと、衝動を実現する力に変える賢さと、清涼感たっぷりの充実感に満ちた余韻を共有できるに違いないと確信している。
それでは、また。