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17. 憧れ終わり【マジックリアリズム】

信じられないことに、ジョンは翌週にエストニアの彼女とオンラインでのやり取りを経て再会の約束を果たした。思い出を話したら、我慢できなくなったから連絡したと言っていた。清々しい顔の印象が、とてもよかった。
ひとりの人として惹かれるのにも十分な相手だったのだろうけれども、2人はその音色やパフォーマンスに表れる本質的な部分で深く強く結び着いている。その熱や火花や、ときに痛みを伴うような化学反応までもが、美しい躍動感をともなってステージの上で昇華されるのを見てみたい。

文字に起こしたり、言葉にして発したりすると願いが叶うというのは本当かもしれない。

「本当に小説みたいだね」

バイトの子が戻ってきて、定位置にいられるようになったマスターは言った。

「誰の人生も物語だって、彼が言ってた」

「そうかもしれないね」

「ゆっくり話してよかった。やっぱり一対一でじっくり話すと、海外旅行みたいになる」

「海外旅行?」

「知らない国に行って、驚いて、心が動いて、感動したり、困ったり、いい疲れがあったり、また来るぞって思ったり、そういう感じ」

「出会って話すと、旅。いいね」

「今もこうして旅してる」

「もう勝手知ったる国じゃない?」

「そんなわけないよ、マスターのことまだ何にも知ってないよ」

「そっか。けっこう話してるつもりだけどな」

「意気込んで話すものでもないしね。リピーターとして通ってます。ゆっくりね」

「でも、ご飯が主な目的でしょう」

「それだけじゃないよ、この雰囲気も、音楽も、マスターも、他の人と会えるのも、みんな好き」

「嬉しいこと言ってくれるね」

「ずっと、憧れてたかも。こういうふうに行きつけの店があって、たわいもなく話したり、カウンターに指定席があったり、っていう感じ」

「たわいもなくないときもある」

「それも醍醐味。でも、たいていは素朴な感じでしょう」

「トニーくんは素朴な話も深いからね」

「そうなのかな」

「話しやすくて親しみやすいけど、決して軽くはない。軽率じゃないって意味ね」

「それならよかった。ねえ、ジャーマンポテトが食べたい」

「ちょうど、美味しい胡椒の実を入手したんだ。それを粗挽きにして、使おう」

「いいね!ガーリックは擦らないで、スライスでお願いします」

「了解」

キッチンに向くマスターの後ろ姿の広い背中、もうずいぶんと見慣れた。馴染みのあるものになったとき、飽きたと感じるのか、気の置けない心地よさを感じるのかは、相手次第でもあるし、自分次第でもある。
少なくとも、憧れが形になって、触れられる実体を伴って目の前に展開しているのは確かなことだ。
ないと思うから憧れる。手にしたいという欲求、意欲、欲望。かつては渇望していたそれが叶ったとき、実感はあるのかな。当たり前のように自然に到達したら、その経過がどんなに激しく悩ましいものだとしても、喉元過ぎれば暑さも忘れてありがたみもないのかな。
イヤッホー!と叫びたくなるような劇的な叶い方とも限らないのかもしれない。
気づけばそこにあるように、知らない間に築かれているように、日々一滴一滴、水が溜まるように、叶っていく夢もあるのかもしれない。

「はい、おまたせ」

感じているよりも長い時間、思考していることが少なくない。
細切りのベーコンと、一口サイズのポテトが、ガーリックスライスとカレーパウダーと粗挽き胡椒で味付けされて、食欲をそそりまくる一品となって、目の前に置かれている。
気づいた途端、思考が吹っ飛んで、あっという間に本能優位。

「これ、いちど揚げてある」

「端っこがカリッとして美味しいでしょう」

「たまらない」

「お代わりもあるからね。料理はするんだっけ?」

「ずっとひとり暮らしだし、するよ。凝ると突き詰めすぎて、目的がよくわからなくなるから、今は基本、ここで食べてる。夜ご飯はね。朝はフルーツと珈琲。午後の遅い時間に、本当に簡単なものだけ作ることが多い。ベーコンエッグとか、ライスボールとか」

「時間が上位なんだね、優先事項の」

「うん。日中にひとりで集中しすぎるから、ここに来て夕食をとりながら話したり、動いてる人を見たりするのが、なんかすごくいいみたい」

「前に聞いたことがある。1日に、必要な数がみんな違うんだって。何人の人を見るのか、会うのか、話すのか。トニーくんは、その数が多いようなイメージがあるけど、そうでもない?」

「そうでもない、かな。でも、見たいっていうのはあるかも。しばらく、街らしい街を見てないからかな。人々が行き交う様子とか、人が多すぎて互いに構い合わなくてかえって自由なこととか、なんだか懐かしく思うことはある」

「都会に疲れて、っていうふうでもなさそう」

「うん。そのギャップも、日中と夜の活動のコントラストと似てるかもしれない。黙りすぎて喋りたくなって、喋りすぎて黙りたくなって、躍動感のある街から静けさが心地いい地方に来て、そしたら勢いや刺激が恋しいな、なんて思ったりして」

「両極端」

「ある意味、どちら方向にしても、違う刺激が欲しくなるのかもしれない。ここではないどこかへ、みたいな」

「ずっと満足しないじゃない」

「それ自体が目的?なんの?魂の?って思うと、大きくなりすぎて何の話だかわかんなくなる」

「何も決めてはいないんだよね、これからとか」

「決めないって決めてるのかな」

「どうなんだろうね、不自由から自由になってやるという強い思いが原動力だったのかな。手段が目的に、みたいな感じなのかな。思うようにいかないから、闘志が湧く」

「闘ってるわけじゃないよ。ただ、自分に対して天邪鬼っていうか。こっちって言ったら、いやそっちだって。じゃあそっちって言ったら、いやいやこっちって。振り回される」

「片方を選んだら、もう一方を捨てることになる、っていう決断のできなさとも違う?」

「ちょっとはあるかもしれない、でも、違う気がする」

「第一印象は、行動力ある子なんだけどね」

「よく言われる。思ってもなかなかできないよ、って。でも、勇気とか決心とか、かっこいい感じではないんだよね。突き動かされるとか、持て余すとか、なんかそんなイメージかも」

「衝動かな」

「ほとんどが、それ。その欲に身を委ねてるとき、最高に気持ちがいい。いや、困った事態に陥るときもあるんだけどね。さて、どうしてやろうか、って腕が鳴る。調子がよければ」

「悪ければ?」

「どうして僕はこうなんだろう、って思ってる」

香りのいいホットティーを淹れてくれるマスターは、やっぱり母のようでもあり、カウンセラーのようでもあった。言葉にしなくても、共感と肯定が十分に感じられる。だからいつも、僕は話を続けやすかった。

「ここにいなさいって言われて自由を求める反骨精神で挑むモデルに、はまりすぎてるのかな」

「しようと思ってしてるわけでもなさそうなのにね。そういう意味では、慣れたことを繰り返してるのかな、やっぱり。刺激的に、アクティブに暮らすっていうルーティン」

「そうかも。でもやっぱり、場所も活動も完全決定はできない。したくない」

「そう思うなら、しなければいいよ」

「誰も困っていないしね」

「強いていうなら、自分で自分に困るときがある」

「それは君に限らず、ある。少なくともそのことは、いまは言葉にして話せるサイズってことだと思うよ。どうしようもないときは、話にできない」

「そうかも。昨年の僕、この話題はできなかったかも」

「話すってことは、相手を知ることで世界を旅行するくらい深い体験。それって、自分のことを知っていくのと同時かもしれないよね。ひとり旅って、けっこう向き合うでしょう。探さなくたって、知らなかった自分に会う」

「マスターと話すと、深くにいる自分と会えるのかもしれない」

「私も同じ。だから、軽くはないんだよ」

「軽いときも、いいけどね」

「もちろん、どっちとか決めなくていいよ、いつだって」

今晩のデザートは、トロピカルな香りのする、ミックスフルーツみたいな味のジェラート。
すうっと舌に溶けて、濃い味のわりに後味がすっきりとしている。
ココナツの実でできたデザートカップは、掌にすっぽりと収まる。
温かみのある、ころんとした形状。
ほっとするような球体の半分。

したかったことをして、欲しかったものを手に入れて、行きたかった場所に行って、憧れ終わっても哀しく思う必要なんてないのかもしれないと、僕は思った。
山に登れば、次の山の山頂が見えるかもしれないし、登った山の別のルートで再挑戦に挑みたくなるかもしれない。
海でもいい、何度潜っても、違う表情を見せてくれるだろうと思う。
詰めの甘さをとことん潰しにかかってみれば、もっと違う景色が見えるってこともある。
もっと世界をよく見てみたくなった。
知っているつもりの、見慣れた世界を。
血液型の話題とよく似ていて、こういうものだと規定すれば、その特徴しか見えなくなるのはよくあることだ。
物事の、人の、考え方の、よく知る部分の安心感と、角度を変えて初めて見る面の驚き、嬉しくなるような発見。
もしかしたら感動。
もし仮に残念、だとしても、あくまでそれは一側面に過ぎない。
どのみち全ての角度からは見えない。自分の可動域には限界がある。少なくとも、その時点では。時を経て、経験を積む間に、可動域は広がり、見え方も変わる。懐かしい曲を聴くと、昔とは違ったところに心が動いたりすることって珍しくない。
大人になりながら、それが狭まる人になるのはごめんだ。
すごい!って思いたい、いつまでも。
たぶん、杞憂は不要。言葉にすれば、現実になっていく。

To be continue..

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