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#2 there is no better or worse, ただ心に寄り添うこと

すこし前の話。

学生の時に同じカフェでバイトをしていた友人と10年振りくらいに電話をする機会があった。

友人は私に、バイト時代自分がLGBTQだと打ち明けてくれましたが私はそれを聞いて彼に対して友達であることになんの変わりも生じなかったし、一人の友人として家に泊まりに行ったり長電話したり。やがて彼はピアノ留学でオーストリア行きが決まり、私は就職先が決まってそれぞれ新しい場所で頑張ることに。

それから約10年近く、なんとなく連絡を取らずにいたけれど、共通の友人を通じてその友人はオーストリアで元気にしていることを聞いていたのだけど先日急にメッセージが来てやり取りをした後、電話で話そうと…。

この約10年の間に、友人は数回の手術を受けようやく心と体を一致させられる事ができて、彼女になって声がとっても活き活きしてた!(戸籍上の名前も変えたそうで、女の子の名前になっていて、私はどうしても昔の名前で読んでしまって注意されたけど笑)よかったね〜なんて言いながら彼女の恋バナも聞き、私も自分の色々をかいつまんで話た。

私の話を聞いた後、彼女が言ったこと。

「それはよくある事だよ、私の30年以上の性同一性障害と比べたら・・・」だった。

このやり取りで私が感じたことは”人の苦しみや辛さは比べられない”ということ。

どんな経験も、それが喜びでも悲しみでも、相手のそれは想像はできても、その本人にしか分からない。苦しみや乗り越えた辛さを自分の事と比べて、better or worseは存在しない。

誰にでもありますよね、辛く苦しい経験や忘れたくてもなかなか忘れられない悲しみ苦しみ。もちろんその反対に、とんでもなく幸せなことや嬉しかったことも。その気持ちを想像することはできても、本人にしか分からない。特に辛く苦しかった時間や経験は比較することなんてできないし、あなたのは私の苦しみに比べて…なんて言えるものじゃないということ。

だってそれは競争するような事ではないから。

あなたがもし周りにとても苦しんでいる人がいて、何かしてあげたいと思ったらどんなことをしますか?

この質問に正解なんてないんだけど、私は寄り添うことなのかなって自分の経験を通して思っています。

私には、本当に苦しくて毎日生きることさえも苦痛でしか無くなっていた時期、話を聞いて一緒に泣いてくれてそっとしておいてくれた友人、何度もどうにもならないモヤモヤした感情や心の苦しさをを打ち明けても否定することをせず、そういう気持ちになってもいいんだよと否定することなく耳を傾けてくれる友人がいました。私は彼らに、こんな話を聞かせてごめんと言ったけれど、いつもいいんだよとか吐き出したいことは吐き出せばいいの、苦しかったんだからと言ってくれました。私と一緒に怒り、悲しんで辛い毎日なら少しの時間でもそこから離れて自分たちの所で少し気分転換をして!とアメリカ行きの航空券まで手配して私を呼び寄せてくれた一生涯のもう一つの家族もいます。

今思い返してみると私にとってそれぞれがなんて優しい寄り添い方だったんだろうと思う。それがなければ今の自分は本当にいない。大げさでもなく本当に。

辛い時、本人は本当にそこから抜け出したくてもがいて頑張ってる。

もしかしたら、これを読んでいる人も今まさにそういう状況かもしれないし、かつてそうだったかもしれない。もしくは、自分が変わってあげたいと思うほど苦しんでいる人が身近にいるかもしれない。見方を変えて、前を向きたくても向けない時、生きることが苦しみでしかない時もある。それでもいいと思う。そういう気持ちを否定したくなるかもしれないけど、どうか自分をそんなに責めないで、そういう気持ちになってもいいんだと自分に許可を出してほしい。そして友人に話すこと・聞いてもらうことも悪いと思わないで。そこにgood or badはないし、ジャッジすることもない。自分をただ受け入れてどんな気持ちの自分でも否定しないで自分をハグしてほしい。

スピリチュアルな言い方になってしまうかもしれないけど辛かった・苦しかった思いはいつだって宇宙が受け止めてくれるはず。一人で味わい続けて苦しむのではなく、寄り添ってくれる人には甘えて、宇宙にも一緒にradiateして渡してみよう。少しだけ、気持ちが軽くなる瞬間もあるはずだから。

Love,

Mayu




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