素敵なことから話が逸れていくポスト
つい先日シェアハウスのご近所さんと会話している中で、食用の昆虫について話題になりました。私は途中で会話に加わったので、どんな話の流れでこの内容になったのかはわかりません。
どうやら彼女曰く、虫は正直得意ではないけれど、生きていくうえで極力「嫌い」なものを減らしたいから、実際に食べてみて判断したいの!とのことです。
かく言う私は田舎育ちではありますが、昆虫は得意ではありません。本音を言うならめっちゃ苦手です。無理です。そんな昆虫さんを食用と認識するのは、「無理です」。ごめんなさい。
今回は特段昆虫に対する私の考えを書きたいわけではないのでこれくらいにしますが、この会話をしているときに彼女の言った「生きていくうえで極力「嫌い」を減らしたい」ということが、とても素敵だなと思いました。私は今まで生きてきて、そんなこと考えたことがありませんでした。自分にない思考にふれて、それが素敵だと思えるのは何か嬉しいことで、気持ちが晴れやかになるような感じがしました。
自分にはこのような考え方は、たぶんできません。私の性格は「好き」と「嫌い」がはっきりしていて、「嫌い」に対して受け入れることが難しい。(嫌いという感情や嫌いな対象を受け止めることはかろうじてできます)「嫌い」なものとの接触は最小限にしたいから、わざと無関心を装ったりします。でも内心はわりと、ここでは語れないようなどす黒い感情だったりするのです。そういうやつは誰も幸せにしないので、自分の中に留めておくように努めています。
昨今世間では誹謗中傷について社会問題として常に話題になっています。そういう話題を見たり聞いたりするたびに、心苦しい気持ちが複雑さを増します。見なきゃいいのに、相手にしなきゃいいのに、と言われればそれまでですが、見ちゃうんですよ。相手にしたくなっちゃうんですよ。どこかで怒りや悪口は「エンタメ」とか「消費の対象」とか見聞きすることがありましたが、正にと頷いてしまいます。余裕がないときとか、心が荒んでいるときに、何か嫌なことがあると相手に心ないことをぶつけてしまいたくなる衝動が生まれる。「忙しいとは心を亡くすと書く」とはよく言ったものです。生まれた良くない衝動を行動に移すか、自分のうちに留めるか、誰も傷つけないやり方でそれを昇華させるか、他にもいろいろあると思いますが、選ぶ方法によってその人の品格が伺えます。
私も正直人を傷つけることをしてしまうことがあります。そのつもりが、あったりなかったりするところが私の性格の悪さだったりするのですが、いろいろな経験を重ねて今心がけるのは、その言葉や行動をチョイスするとき、それは誰かの心を傷つけないか、というポイントです。ここを見誤らないようにしようと(一応)気をつけています。負の感情をそのままぶつけるのは、人間として未熟だし、あらゆる方向に良くない気持ちを生むし、いいことないです。なので、人間として熟していけるように日々精進です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?