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東京という「ゴミ箱」

東京で育児をしていると「あー。もう、都会に疲れた。自然の中で暮らしたい」と思う瞬間が、結構ある。

私のように子供3人いる身で渋谷に住むなんて、正直どうかしてると思う。
よっぽどのマゾヒストじゃないと、できない(本当にそうであるかは、置いておいて笑)。

なぜなら、車は多いし、道は狭いし、家賃は高い。デメリットを挙げれば切りがない。中でも疲れさせるのは、どこへ行っても、人、人、人。これは、物理的に人口が多いというだけではない。

それは、絶えず「他の人間」に接することで、何かを感じさせられて、刺激を受け続けるから。

かつて岡本太郎は、「東京は、ゴミ箱をひっくり返したような街だ」と言った。
パリやニューヨークのような完成された、洗練された都市では決してない。何者かになろうとする人々の欲望が蠢いていて、街全体が生きている。
それを象徴するかのように、古いものは取り壊され、新しいビルが建ち続ける。そんな街だと。

この話を、浅草に住んで銀座で黒服をしている友人にしたら「俺の生活圏内では、むしろ街そのものがゴミ箱っす!」と笑いとばしていた。
嫉妬や、絶望や、希望が、たくさんあると。ちなみに彼自身もミュージシャンを目指して上京し、生計を立てるためと、人脈を作るために黒服をしている。

そんな人間の感情を抱え込んだ、ごちゃごちゃした「ゴミ箱」の東京。そんな中で生き抜く方法は、人によって色々あるのだろう。
私は「他の人間」で疲れる生活を送りながらも、矛盾するようだけど、「とにかく他人と話すこと」で、なんとか息できている。

それは、生ゴミのような悩みに「くさいものに蓋」をして同じくやり過ごす人に出会ったり、自分ではガラクタと思っていたものが実は宝物だと気付かせてもらえたり。
ドブに落ちかけた私をすくい上げてくれるのは、いつも「他の人間」だった。

他人とは何度もお会いしていくうちに、深い話ができるようになってくる。
その度に違う面が見えてきて、いつも「話せて良かったなあ」という気持ちでいっぱいになる。

昨日は友人たちと料理を作りながら、ぐだぐだと話していた。
台風の影響で、外では嵐が吹き荒れている。でも、不思議と全く嫌な気持ちはせず、むしろ私の心のもやもやを洗い流してくれたように感じた。

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また、都民の日ということで、保育士の友人が東京にちなんだ工作を企画してくれた。
子供の足型をとって東京ばななに見立てる、なんともユニークなワークショップ。しかも、自分で考えたとのこと。私では、絶対に思いつかない。

0歳の次女は保育園に入っておらず、こういった記録をなかなか残せておらず。幸せな記憶とともに、幸せな記録も残せたのだった。

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