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エヴァから見る監督の心情変化

こちら、シン・エヴァンゲリオン劇場版のネタバレを含みます。

まずは、数あるエヴァ考察及び感想noteの中からこちらをご覧いただき、ありがとうございます。

この記事はエヴァに出会ったことにより、宗教や心理学の専門書を読み漁り、カトリック高校へ進学、結果として精神保健福祉士になった者の、感想とも考察とも言えない単なる独り言です。

















今回の観劇で感じたのは、とにかく「よかったな、回復できたんだな、監督」でした。

私は、エヴァという一連の作品を、庵野監督の心象風景だと捉えています。

そのため、別世界だループだと話題になっていましたが、エヴァというのは、アニメも旧劇も新劇も、全て合わせて一つの作品だと思っています。

全て一つの作品なので、何度も繰り返していた。

監督の心象風景なので、細かな辻褄は合わなくて当然。

回復するというのは自分を表現するのが第一歩です。ですから、表現したくても、表現しきれないし、毎回、表現方法は異なるのです。

アニメや旧劇の、声を線で描く、私と一つにならない?、実写シーンがそれです。

今回、ゲンドウの回想シーンが深く描かれていたのは、それだけ自分自身と深く丁寧に向き合えた表れだと思います。

更に、今回の映画では、ヒトの希望と安らぎ、呪縛からの解放などがテーマに描かれており、最後はシンジが未来(現実)へ前進する姿でしめられており、これがエヴァ作品全体の終焉を表していました。

きっと、派生的にエヴァを描くことはあっても、繰り返す物語を描くことはないのだと思います。

キャラクターをエヴァの呪縛から解き放つと同時に、監督自身、そして視聴者をも解き放ったのでしょう。


細かな考察所はもちろん、あります。

式波シリーズ、目線、補完計画とゲンドウの計画の違い、槍について、マリという人間について、ラストシーンのDSSチョーカー……

でも、そういったものは全て派生の物で、本筋は1人の人間が、もがき続けて回復をするまでの自己表現のように思えるのです。

幼い頃に見たエヴァで人生が変わった私も、エヴァのループから抜け出せそうです。

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