35年ぶりの『ファ♯』前編
2022年のとある日、、、
これからは、自分を喜ばしてあげようと決めた。
まるで大事な子供に聞くように、
まるで愛する人に聞くように、
まるで大切な友人に聞くように、
自分に聞いた。
『…何が好きかな?
…何が嬉しいかな?
…何か欲しいものあるかな?
…何かしたい事あるかな?
今わたしが出来る範囲のことなら、
なんでもしてあげるから素直に言ってみて。』
その日
心の耳を澄ましても返事はなかった。
ずっと置き去りにされてきた本当のわたしは、心を閉ざしたままで
自分が何を望んでいるのかすぐには教えてくれなかった。
その後何度か声を自分にかけ続けて過ごしたある日
ピアノの音に癒されることを思い出した。
いつかおばあちゃんになった時、
もしピアノが弾けたら、なんて豊かなんだろう?と。。。
想像したら心が温かくなった。
1つ思い出すと、不思議と時間差でいろんなことを思い出すもので
4歳から10歳まで習ったピアノ教室。
10歳の時に母からのススメ(やる気のないわたしへの母の思いつき)の流れで『課題曲、自由曲、自分が作曲した曲』で受けることになった市の児童音楽隊の試験。
音楽の英才教育を受けたエリートがたくさんいる集団の中で田舎から出てきたわたしはやりたい楽器を選ぶ勇気すら出なかった。
落ちこぼれながら、『街中までひとりで通う自分かっこいい!』という不純な動機と謎のやる気で、なんとかやり過ごした11歳、12歳。
オーケストラとしての発表会は、凄かった。
感動したし、良い経験だった。
…わたしの意志で始めたわけじゃない。
近所の子たちがみんな習うから…で気づいたら通っていた集団ピアノ教室。
早生まれのわたしはいつだって出来が悪かった。
からかわれることも多々あった。
コツコツ練習するほど好きでもなかった。
小学生に上がり個人レッスンになった8歳の頃、自分がやってみたい習い事が初めてできた。母に伝えていろんな情報も集めたけれど、それは様々な理由で受け入れてもらえなかった。
それからしばらく経ったある日、タンスと窓ガラスの間のカーテンに1時間隠れてピアノ教室をサボった。
良い子で居れない自分に罪悪感がいっぱいだった。
ピアノがやりたいことなのか、子供ながらにわからなくなったんだと思う。
もうやめたいと素直に言えなかった。
その後ピアノの先生の他愛もない優しい声かけに何度も何度も救われた。
練習もたいしてしないで向かうレッスンにも丁寧に付き合ってくれた。
初めての作曲を譜面に落とせず、宿題もろくにしないまま、開き直って、音やリズムを頭に浮かぶイメージばかりで伝えてやり過ごそうとしたわたしに先生は怒るどころか、まさかの期待をしてくれた。
そして
『音や曲がどう見えるの?どんな感じで浮かんでいるの?、、、ねぇ音大に行かない?技術は後でいくらでもなるの。でも音が見える感覚はみんな持ってない。』と。
(それがどんな褒め言葉だったか、この度思い出すまで気がつけなかった。)
『ムリムリムリムリ…わたし、指短いし、全然上手くないし上手くならないし。音楽隊に入ったらピアノ教室やめなさいって言われてる。とりあえず試験受けないと。』みたいな返しをしたと思う。
そして試験に通ったあと先生からレッスン後に1度、お家の庭先に訪ねて来てくれて母に直接1度、本当に真剣に声をかけてもらった。
母もわたしも同じく受け取り下手なので『あの子じゃムリムリムリムリ…』『わたしじゃムリムリムリムリ…』と答えた。
経済的にも難しかったと思うけれど、自信もなかったし、本当に無理だと思っていた。やらされてる感がどこかにあってそこまで好きでもなかった。
だから12歳で音楽はきっぱりやめたし、別の人生を生きてきた。
そこそこ楽しかったから後悔も全然ない。
行くことを決めたら、それはそれできっと嫌いになっていたと思う。
おかげでピアノの音は今でも好きだし、
クラッシックやゴスペルで泣いてしまうこともある。
(20代の頃、ゴスペルをやっていた友人の楽しいクリスマスコンサートを見に行く度に感極まりど真ん中のテーブル席で号泣していたら、、、3年目には『泣くからな〜😓』とチケットを売ってもらえなくなった。ごもっとも(笑))
わたしの青春時代、ただただ音楽を聴きに出かけ、
そこで面白い人達との出会いがあって懐かしい思い出もいっぱいある。
我が家は、どうしても学業の成績が優れていることに価値のあるところがあったり、感情を素直に表現したり、脈絡もなくお話しをするととがめられる所があって、感覚で生きてたわたしは長年少し肩身が狭かったのだけど、、、
ピアノの先生との出会いは、ありのままの自分のことを大人に初めて褒めて貰った嬉しい経験というものだった。
自分のそうなったらいいな。。。から3ヶ月。
どれがいいか迷って迷って真っ白いキーボードを自分のご褒美に買った。
ポチってからキーボードが届くまで、子どもがはしゃぐように、心の中のわたしが小躍りしてるのがわかった。
35年経つと音符も楽譜も全く読めなくなってるとも知らずに。。。
(多分、いろいろとがめられたのは、こう言うところを心配してでしょう)
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