生き方の原典 1章 人間と霊魂の働き34-37
まず背後の整理から始めよ
努力は結構。人は事に当たり、努力しようと言う。しかし努力するものの背後に邪霊が働いていたらどうであろう。努力に反して結果は悪くなる。ゆえに、まず自分の霊的背後はどうだろう、その整理によってはじめて努力に入る。本当に背後が整理されたら、努力せずにしてたんたんとして目的達成できる。但し、霊的整理は、不退転の努力、すなわち精進によらねばならぬ。
道は理解と実践から開かれる
道を聞いてこれを理解せず、ただ利益の為にだけ実践するものは進歩せず幸福はない。道を聞いてこれを理解しても、実践しない者は、また進歩せず幸福はない。道を聞いてこれを理解し、実践するものは進歩し幸福を握る。
この人だけが本心より信じたのであり、その瞬間に背後が変わり、これに応じて守護霊が働くのであるから。
反省と精神統一から「我」がなくなる
[自分はいつも反省して我は無いつもりだがそれでも我が出る。これはどういうわけかと問うひとあり]
我とは幽界の霊魂の働きによるものである。いくら反省しても、人間はその構成上、幽体を持っている、幽体は霊魂の宿だから、ちょっとの隙に付け込んで幽界の霊が働く。だから反省しただけでは難しい。反省の心の総仕上げが精神統一である。
つまりこれで働こうとする幽界の霊を向上浄化させる。しかし統一の前に、自己反省がなければ何もならぬ。 自惚れの強い人は、自分には我は無いと考える。しかし自分の目の前を見ればわかる。自分の周囲は、自分の心の現れだから、物事がうまくいかぬ、自分を憎む人がいる。これ全て自分にも同じ心がある証拠である。 素直であれば、周囲も素直となり不幸はない。素直は人間本来の心。人間はこういう心を持たねばならぬように創られていると考えよ。
自分の心が自分を作る。芸能では、不統制の心があるとすぐそれが芸に現れる。これに気づいた人が大成している。芸能に限らず何事ににおいても、人間はこういう心を持たねばならぬように創られている。
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