八百屋さんはダイバーシティ!?~hanasakiさんの記事から②~
はじめに
hanasakiさんの記事を読んで、色々浮かんできて、許可をいただいて記事にすることにしました。2回目です。
hanasakiさんありがとうございます。
きっかけになった記事はこちらです。
八百屋さんとダイバーシティ
この記事を読んで、まず浮かんだのが先日偶然みつけた八百屋さん。
年に数回行く場所があるのだけれど、先日ぼうっとしてバスを停留所1個分乗り越してしまったら、目の前にチェーンのスーパーとプレハブの八百屋さん。八百屋さんはお弁当も売っているとのぼりが出ている。
ちょうどお昼どきだったので、迷わず八百屋さんへ入る私。めったに来ない場所では珍しいほうを選ぶことが多い(笑)
中に入ると、てづくりっぽいお弁当がたくさん。かつ丼や焼き肉弁当などに混じって、カレーや、タンドリーチキン、チベット風の肉まんやナンなどもあり、あれっと思うと、レジにはインド系のお姉さん。
さんざん悩んで、レンジが無い場所なので、チーズ入りのナンを買って、会計へ。
お姉さんは日本語もお上手でした。
彼女以外の人をみかけなかったので、勝手な想像でしかないけれど、八百屋さんの後継ぎさんとご縁があって、結婚とかかな?などと考えながら、次回チャンスがあれば、チベット肉まんとカレーを買うぞと思いながらお店をでました。
チーズナンは冷めててもおいしかった。
そのときは、なんだか、いい感じと思っただけで、お店を後にしたのですが、記事を読んで、まず浮かびました。
この八百屋さんこそ、私にとってはダイバーシティ。
事情はわからないけれど、異なる文化をうまく融合させて、お互いを尊重しながら、生活やお商売をやっている。
もしかしたら、嫁姑の戦いなんかもあるかもしれないけど、それをうまく調整した結果があの和風とチベット風の折衷のお弁当のラインナップだと思うのです。
ダイバーシティとは
ダイバーシティの訳語は多様性。
日本人は島国で文化が同じだからと誤解している人が多く、多様性というと、国際交流とか福祉とかつい大仰に構えて、多様性とはとか語ったり、大きな会社で行うものと考えてしまったりするのかもしれないけれど、本当はもっと身近にあるし、それがある場所は、いろんな人が生きやすい、ほっこりする場所だと思っている。
青森の人と沖縄の人がそれぞれ地元の言葉で話したら十分別の文化圏だし、それ以上に働く母と独身女性の違いだったり、二十代男性と七十代主婦の文化圏は全く異なる。
その違いを尊重して、お互いにやりやすい状況を作りましょうというのが私にとってのダイバーシティなので、記事のコメントにも書かせてもらったけれど、それぞれの違いを認めることが理解と成長を促すという考えのhanasakiさんはダイバーシティそのものだと思うのだ。
みんな違って?
みんな違って、みんないい は金子みすずの詩だけれど、みんな違うのが当たり前で、本当は同じ人はいない。多様性などとわざわざ謳うまでもなく、みんな違うはずなのだけれど。
でも一方で、同じ属性に目を向けて、それ以外を排除する傾向も確かにある。
たとえば、成人男性のサラリーマン、高校生の女の子 わざわざ同じ属性を選ぶことで、それ以外のものを避ける。みんな同じはとても苦しいから、そこからドロップアウトしてしまうと、すごく良くないことをしたように言われる。
ダイバーシティとわざわざ謳わなければいけない社会は、言わないと多様性を認めていないということで、実はとっても息苦しい世界ではないかと思っている。
そうではなくて、もともとみんな違っているのだ。
あなたもわたしも唯一無二の存在で、同じひとは存在しない。
それぞれの属性は似たものもあるが、それは一部であり、その人そのものではない。
違っているから楽しい。
違っているから大事。
違っているのが当たり前だからこそ、お互いを思いやる心が必要で、そこにいろいろな発見や奇跡が生まれてくると思う。
私の願いは、ダイバーシティな八百屋さんのような場所がたくさんあふれて、そしてダイバーシティという言葉が必要なくなる世界になること。
そのためにささやかだけれど、目の前の違いを受け入れ、楽しみながら、過ごしていけますように!
終わりに
最初に思っていたのと全く違う展開の文章になりました。
考える機会をくださったhanasakiさんの記事に心より感謝します。
ありがとうございます。