見出し画像

選択することの難しさ〜むすめの幼児教育を選んで〜


むすめの為を思っての選択は、
本当にむすめだけを思っているのか?
最近、よく思う。

むすめが1歳を過ぎ幼児教室に通うようになった。
初めての習い事だ。

その幼児教育も種類が色々あり、お受験向け
のものから英語に力を入れているお教室など
お教室の数だけその特色がある。

数あるお教室の中からむすめに合いそうな
お教室をひとつ選び、そこに通うことにした。

わたしにとってむすめの進路の初めての選択だ。

むすめは幼稚園に通う予定なので、保育園には
通っておらず1歳になるまではどこにも所属を
していなかった。
なので、これがむすめの初めての進路。

先ほども述べたようにお教室には色々な特徴
があった。むすめのお昼寝や就寝した後など
時間を見つけてその教室ひとつひとつを調べ
むすめに合う場所を探していく作業は、
実に大変だった。

何が大変か?というと、
むすめはまだ自分の意思を明確に伝えられない
ので、わたしたち親がむすめの意思や性格を
汲み取ってぴったりの場所を探さなければなら
ないということが大変だった。

幼稚園に通う頃になれば、なんとなく自分の意思
を伝えられ、習い事もわたしたち親と共に意見を
交わしながら決定する、ということができるが、
今は言ってしまえばわたしたち親の独断と偏見
で、むすめの習い事を決めてしまう訳だ。

実際、むすめにぴったりの などと述べているが
わたしの思考に似たお教室を選んでいる気もする。

結局、1歳の娘に与える全てのものはわたしたち
親の好みや思考に近いものになっている訳だ。

正直こればかりは仕方ないところもあるだろう。
本人と討論することがまだできないのだから。

ただ、この件については少し前まではとても
悩み苦しんだ。

「わたしの選択がむすめには合っていなかったら」
「結局わたしがやりたいだけではないのか」
「1歳からお教室ってなにがしたいの?」
「教育ママって思われたりするのかな」

一度負のループに入ってしまうと抜け出せない。
ぐるぐるとマイナスのことまで考えていた。

しかし、むすめはまだ1歳。
喋れる言葉は単語のみ。
意見を聞いて答えを求めるなんてほぼ不可能。

それでも1歳のむすめに対してわたしは何かを
与えたかった。
幼児教育で行われる小さな集団との関わり、
家ではできないダイナミックな運動や製作。
むすめを外の世界にわたしと一緒に出したかった。

ある日、ふと今はそれでいいんだなと思った。

わたしが一生懸命むすめのことを考えて幼児教育
を選んだことは事実。
そして今親子共に楽しく通っていることも事実。

もう少しして、むすめが自分の意見を述べられる
ようになった時に、
「わたし、おきょうしつ いかない」
そう言ったら辞めればいいんだ。

それまでの間はわたしの選択に付き合って
もらっていると思って、楽しもう。

子育ては難しい。
そして選択の毎日だ。

この選択はわたしの人生の選択ではなく
むすめの人生の選択である。

人の人生の選択を、親はその人が自分で選択
できるようになるまで肩代わりするのだ。

重大責任に感じる。

だから、わたしはその選択に自信が持てるように
しっかり向き合っていこう。
選ばなかった方の選択のことも認めていこう。
そして、むすめが大きくなってわたしが選択した
ものを気に入らなかったときは、
「今まで付き合ってくれててありがとう」
という気持ちで手放していこう。

そうやって、自分の選択を抱きしめていきたい。

いいなと思ったら応援しよう!

カメリア
応援よろしくお願いいたします♡ いただいたチップは活動費として大切に使わせていただいております。