感動にはいくつかのステップがある。共感は生まれて来た時から始まっているのです。
私たちの感動にはいくつかのステップがある。そして、感動があるから共感があり、
共感は生まれて来た時から始まっているのです。
私たちは感動しなければいけないと考えすぎてるのかもしれない
感動しなければいけないということにはステップがあるということ。共感することは私たちは生まれて来た時からしているのです。
感動しなければいけないということにはステップがあるということ。
いまは生きにくい時代とか言われていたり精神世界の時代とも言われたりしていますが、
生きにくいと思うのはここ最近の話でもないし
いまから30年も前から生きにくい時代ではあったと思う。
いまはそれをいくつか言語化できるようになったと思う。それは検索エンジンが発達して、そしてchat GPTの登場でものすごい変化があったから。
私たちはいくらでも言葉を扱えるようになれたのです。
感動しなければいけないという考え、私たちは
感動するために生まれてきたのだと。スピリチュアルの世界に携わると、そういう状態になるのですが何で感動しなければいけないのか、
生きていくために感動する必要はあるのか
感動するという言葉ばかりにふりまわされている私たち。
私たちは感動にもいくつかのステップがあるのだと思うのです。
まず、
①私たちは共感をします。
②そして心で感じること、
③身体で感じること、
④頭で考えること、
⑤心で感じたことを頭で考えてみること、
⑥それを言語化してみること、
⑦それを文章にしてみること、
⑧それを自分の生きてきた背景・バックボーンと重ねてみること。
⑨そして時間の中で整理をしていく事、
⑩それから感動をしていく事だと思うのです。
この流れのステップを人によっては一瞬で感じることが出来たり、一週間かかるひともいれば一年かかるひともいれば何年もかかるひともいれば、何十年もかかるひともいるのです。
私たちは気づくことに早い遅いはあるのです。
私たちは頭で考えて心で感じて生きているのです。
同時に考えて感じながら生きているのです。これは特別な事ではなくて、みんな当たり前にしているのです。
これを別に強制的にさせるものでもないのです。別に私たちは感動していないことはないのです。ただ何となく生きていたとしても小さいいくつかの感動をしながら生きているのです。そしてちりも積もれば山となるように、
すべてがいっぱいになり涙を流したり多くのことに学んだり気づいたりするのです。
私たちは生きながらして学び続けているのです。生きながら私たちは共感をしているのです。言葉や文章の文明の発達に感謝しましょう。
ありがとうって言える人生を歩みたいですね。
私たちは目に見えない力にも、動植物の愛に感謝して。
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