流れる時間~思い出のアンナミラーズ
先日、ヤフーニュースで、日本最後の店舗でもある、アンナミラーズ高輪店が8月31日で閉店するというニュースを見た。
心がズキッとした瞬間だった。
アンナミラーズというのは、学生時代よく会話に出てきたお店だ。制服が可愛くて、スタイルが良くないと雇ってもらえない、といううわさもちらほら(あえて「スタイルが良くないと」という表現をしましたが、もっと細かい条件の話を当時はみんなしていた)、あー-あ、私には無理だなあと思いつつも、可愛い制服への憧れが尽きなかったと同時に、あのレストランの、アメリカンな恐ろしいほどの甘さのケーキだったか、パイがおいしすぎて。
この二つが強烈な思い出に残っているのだ。
そしてこの高輪店は私の行きつけの「アンナミラーズ」だったのだ。
今の品川駅がどうなっているかわからないけれど、当時は、東口と西口をつなぐ、確か小さなトンネルというか、コンコースとでもいうのか、そういったのでつながっていたような気がする。
東口にはコクヨ、西口(高輪口??)にはアンナミラーズ。
そう、新幹線がまだ通っていなかった時代の話だ。
学生時代の元気な時代と、大人になって社会人としての生活をしていた時代の二つの時代を跨いでいたアンナミラーズ。
そのレストランが閉店するというのは、自分の時代が終わってしまうような気がしたのだ。
もしお金と時間があったのなら、明日にでも日本に飛んで、羽田から直行でアンナミラーズに向かいたい、そんな気持ちでいっぱいだ。
こうして、思い出の場所がなくなるたびに思うこと。
日本が違う国になっていくのではないか、ということ。自分の知っているものや思い出のものがどんどんビジュアル的になくなっていき、心や思い出の中でしか存在しなくなってきている。日本がどんどん「アジアのどこかの国」に自分の中で変わりつつある。
その変化の大きな一つが、このニュースだった。それだけ、アンナミラーズというレストランが私の心の中で大きな位置を占めていたのかもしれない。
品川駅の喧騒が懐かしい。仕事帰りの雰囲気。乗り換えのコンコース。空港への乗り換え駅。その時々でいろいろな思いで、プラットフォームに立っていた自分。その思い出の中にアンナミラーズはいつもあった。
宝くじでも買いに行こうか。当たったらすぐにチケットを買って、羽田からアンナミラーズへ直行だ。