Come and sit with me for a while
先週、友人の母の月命日でお花を届けに行った。
友人は心のアップダウンの中で、生きている。
元気な日もあれば、落ち込んでお母さんに会いたくてしょうがない日もある。そしてどうして病気になったのか、何ができたのか?何をすべきだったのか?犬が自分のしっぽを追いかけるかの如く、質問が頭の中を駆け回る日もしばしばらしい。
そんな話をしていて。彼女ははっと気が付いて、自分の携帯をカウンターから持ってきた。
「そうそう、ハナに教えたいことがあって」
彼女の話は、週末に行った公園の話だった。
ハート形の池がある森。遊歩道が森の中をくねくね。彼女も私もこの公園からそう遠くはない地域に住んでいた。だから私は子供がまだ小さかったころ、この公園に何度か連れてきた。お散歩コースにはちょうどいい。アップダウンもあるから丁度よく疲れてくれる。
彼女は先週末が初めてだったらしく。私はそれにびっくりした。彼女は私がその公園に何度か行ったことがあると聞いてびっくりした。笑
お互いわからないものね、といい。
お天気が良かったから、雪が降った後で、きれいでね。と。そして一枚の写真を携帯のアルバムから見せてくれた。
キラキラ雪が太陽の光に照らされて、真っ白だ。誰の足跡もない。
その真ん中にポツンとベンチがあった。
え?という顔をする私に。
このベンチで娘と休憩したのよ。で、ふと、プレートが背もたれについていて、人の名前が書いてあったから、なんだろう、と思ったら、シーラだったのよ!!!知っている人の名前が書いてあってびっくりよ。でも、覚えている?彼女6月に亡くなって、丁度あなたが母のマッサージに来てくれた頃に話してたじゃない、彼女が亡くなったって。
ああ、確かそんなこと、言っていたかも・・・・・。
同じ「絵描き仲間」で同じマーケットで商売をしていた間柄で顔見知り程度の知り合いだった、友人とシーラ。
友人がこの話をしたときに、ピンとこなかった。
でも私の知っているシーラは、同じマーケットにいたし、絵描きだ。でも、「旦那さん」だとか、苗字の頭文字はDで、Mじゃない。
なので、話は右から左に通り抜けたのを思い出した。そう、去年の夏、マーケットの仲間の何人かがなくなって、何人かがガンが見つかったって。
そのベンチは彼女を思い出してほしいという願いを込めて、家族や友達が有志を募って備え付けたものらしい。けれど、詳しい経緯はわからない。
それがとてもステキでね。と目をキラキラして教えてくれた友人。しばらくそこに座って、彼女を思い出していたの。と。多分彼女、あの近くに住んでいるのよね、彼女とのつながりがあるから、あの公園にベンチを作ったのよね。と。
そこで、ふと思った。そう、シーラはその公園の近くに住んでいたのだ。
でも、彼女の散歩コースは土地開発が勧められ木が伐採された別の場所だった。伐採が始まったころから立ち入り禁止になって。その反対運動を一生懸命やっていた。そのせいで、フェイスブックに誹謗中傷が乗るようになって、プライベートにしたのよ。と言っていたのが最後に会った時だった。
帰りの車の中、信号が赤に変わり急停車した。
突然胸騒ぎがした。
私の知っているシーラかも。
急いで家に帰り、ネットを開く。彼女の名前を検索すると、お悔やみの記事が出てきた。
あの屈託のない人懐こい、60過ぎとは思えない可愛らしい笑顔の彼女。好奇心旺盛のあの目に、何度元気づけられたか。
同い年で(高齢。苦笑)子供を産んだ先輩として会うたびに、子育てのアドバイスをくれた彼女。
「はーい!ハナ!!」
働いていたカフェに来た時も、「意外なとこで会うものねえ」と笑っていた。また来るね~、と。
息が止まった。呼吸を忘れてしまった瞬間だった。私の知らない間に、彼女はこの街から、この世界から、いなくなってしまった。
猫が好きで。自然が好きで。自分の先祖を大事にして。一人娘ちゃんが大好きでしょうがなくて。お母さんを大事にして。絵を描くのが大好きで。ベジタリアンな彼女は食べることも好きだった。
とにかく彼女の描く絵は彼女の性格が出ている、明るくカラフルで、まるで彼女の人生を写したかのようだった。
今日の午後、少し時間できたから、ガソリンを入れがてら、公園に立ち寄った。
ハート形の池が一望できるところにポツンとあるベンチ。友人が見せてくれた写真と同じだ。
近づいてい見ると、彼女の名前と生まれた人亡くなった日が刻まれていた。その下には、彼女の人生のタイトル。
「妻、母、娘、姉、友達、そして有名な地元のアーティスト」
そして最後に
「Come and sit with me for a while」
まるで、彼女が残した言葉のよう。まるで、彼女がここにいたら、あのくりくりした目で、「ハナ、少し座っていきなよ」というかのように。
私は腰を下ろした。
氷の張ったハートの池には子供たちが滑っていた。
土地開発で行けなくなった森のあとに、彼女はここに来ていたのだろうか。
ここからの景色が好きだったのだろうか。
いつまでも元気でいると信じていた人の一人だった彼女。
まさかさよならもいう事もなく、旅立つとは。
つるんつるんになった足元の雪。
でも、差してきた太陽の日差しが温かかった。
春の香りがする日だった。
彼女の死を受け止めたと同時に、心の中に、小さな芽が生えてきたような気分だった。
私は立ち上がり、その場を去った。これ以上座っていたら、涙が出てきそうだったから。
シーラの芽を心の中で大きくしていかないと。彼女の教えてくれたお母さんであること、を少しずつ思い出しながら、彼女の繰り広げたカラフルな世界に生きていきたいな、と車のエンジンをかけてふと、思った。
こんな粋な贈り物もいいかも。ここに来れば彼女に会える。
私は好きだ、お墓よりも。彼女の好きだった(であろう)場所で、ここにちょっと私と座らない?と彼女がここにいたらいいそうな言葉とともに。ここに来れば彼女と心の中で会話ができるのだ。
また来るね、バックミラーを見て、ちょろちょろする子供たちに気を付けながら、私は駐車場を後にした。
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