大丈夫、という事
私は「大丈夫」という言葉をよく口にする。好きだから、というか、「大丈夫」というだけで、全てが大丈夫になるし、なってきた。
今朝、朝4時に目がパチっと冷めて、この言葉がなぜか浮かんだのだ。
そして思った。どうして大丈夫が心強い言葉なんだろう。と。
前の晩、私は今の家庭の状況について考えた。私の中で、仕事が見つかり軌道に乗り次第離婚を実行に移そうと思っている。簡単に離婚できるわけではなく、それぞれの手続きがある。国際結婚であること、子供がいること、その他いろいろなことが出てくる。
そう、ある友人が私に聴いてきたのだ。
「修復不可能なの?」と
もちろん子供のために結婚生活を続ける手段を考えるべきという意見だ。
しかし私の中では、そんな選択肢は全くもってない。
何が大きな原因か。それは全て一人であったこと。無職の時間が多くても、定時きっかりで仕事をしても、家の事、子育てを夫が手伝うことはなかった。子供を公園に連れていくことも、何かを教えることもなにも、ない。
今まで付き合った人たちは、私が何かに悩んでいると、「大丈夫だよ、君ならできる」「大丈夫だよ、一人じゃないんだから」と励ましをくれ、そしてその通りだった。
夫にはそういうことがなく、「わからない」「知らない」そして泣く。
意味不明なこのリアクションに私は限界が来てしまった。アドレナリンも放出しすぎて、もう枯渇状態だ。
そしてここで気づいたのだ。
大丈夫という言葉の後には、必ず続きがある。
「ー、私がいるからね」
「ー、こんなにがんばってきたのだから」
「ー、君ならできる」
「ー、〇〇だから、きっと大丈夫にきまっている」
等々。
大丈夫というのは、根拠やこの言葉をかける人の、サポートの元でのかけられる言葉なのだ。
1人ではない、心強さ。これが大丈夫なのだと、私は気づいた。
もちろん、「大丈夫」と自分自身に言う時もある。それは自分自身を信頼し、前に進むとき。自分を信じるということは、簡単ではないけれど、努力の結果で出てくるものだと、今までの経験で勝手に自分のケースで、思うのだ。
子供に私はよく言うのだ。
「大丈夫、お母さんがついているから」
「大丈夫、沢山練習したじゃない」
子供の小さな背中をこの言葉たちと押してあげると、笑顔で戻ってくる。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」子供も小さい時、この言葉をよく連発し、母に「面白いこだねえ」と言われたほど(笑)
時々、「根拠もなく」大丈夫という時がある。でも、どこかに、大丈夫と言える確信があるから言えるのだ。だから、確信があるとき、私は友達に「大丈夫だよ」と声をかける。
そして大丈夫なのだ。
大丈夫の魔法は強いし本当の意味でのミラクルだ。
でも、この言葉をつかえるくらい、やはり頑張らないといけないのも事実。
私の離婚もきっと(弱気、笑)大丈夫。明日もがんばろう。