成人式の事
今朝シャワーを浴びていて、思い出した。
友達の息子さんが、今年成人式だということを。
ヤフーニュースでは各市町村で、成人式の延期の話が出てきている。そして思い出した成人式。
海外に住むようになってから、日本の祝日で新しい祝日が加わったり、移動したり、とせわしない(と私は感じる)。一生懸命アップデートに必死だった数年、今ではもう、ギブアップ。日本からの母の電話で、「今日祝日なのよ」「あ、そう」という会話を何度繰り返したことか。
何故だか今年は、自分の成人式のことを思い出した。
遠い、遠い、「さん(!?)昔」の事。
私は18歳で生まれて少し育った町を離れ、横浜に進学した。親の仕送りをありがたくいただく生活ではあったものの、当時の平均額の見事半額な仕送り。笑
親は「足りない分は自分でよろしく」と。しょうがないと思い、私はホテルでアルバイトをしていた。本当に暖かい人先輩たちに囲まれ、悔しくて泣いたこともあったし、ゴシップにわくわくしたこともあったし、恋もした。そして沢山、人との関わり方や、仕事への姿勢を学ばせてもらった。
そう、私の成人式の時は、「卒業を控えた学生」であり、「ホテルでアルバイトをする学生」でもあった。
1月は新年会などのパーティーが目白押しで、祝日は忙しい。地方から来ていた同い年の短大のクラスメートや、バイト仲間はみんな地元に帰っていた。
私は、というと、住所を横浜に移していたということもあり、案内は横浜の当時住んでいた区からのもの。もちろん、知っている人はおらず、大きな会場に一人で行く気もなく。かといって、地元に行って、友達に会おうかなという気持ちも起きず。そして当の親は、送金で、「これでスーツでも買いなさい」ちゃんちゃん。
子供も三人目になると「生きていればOK」のレベルだった。
いや、私は女の子一人だったから可愛いがられたでしょう、とよく言われるけれど、そんなことはない。「生きていればOK」が強く強く出ていた親の子育て。それはそれで自由だったからよかったけれど。
なので、私は帰る気も、成人式に行く気もなく。仕事に入った。
当時34歳だった先輩。彼女はシングルマザーで確か当時5年生くらいの男の子が一人いて、お母さんと三人暮らしだった。
あの日、一緒に仕事に入って、「あなた、〇〇ちゃんと同い年よね」と聞かれた。はい、と頷くと、「何やってんのここで。今日成人式ってわかるよね??」とあんぐり。
あの時は、世代の違い、と二十歳の私は薄く笑ったけれど、今では彼女のあの突っ込みに感謝しかない。彼女からとくとくと成人式の大事さを教えられ、最後には、
「私の着物かすから、それ着て写真撮っておいしいもの食べなさい!!!」
彼女の計らいで、ホテルにあるイタリアンレストランで食事と、写真室で撮影、そして着付けも全て、予約を取ってもらった。
14歳差だった私たち。着物はもちろん、彼女の世代の柄だった。淡い水色の中に、薄いピンクが入った色。柄はどんなだったか、細かいことはアルバムを見ないと思い出せない。彼女よりも、少し背が高く、腕が長い私の腕。余裕で手首が見えてしまう振袖。着付けの時も、ぽっちゃり型だった先輩のサイズに合わせるため、着付けの女性が、沢山綿を入れてくれた。
確かもう2月に入ってからの事だったけれど、当日、一番仲の良い友達の付き添いで、ホテルに行き、着付け全般してもらい、写真を撮り、みんなにあいさつ回りに行きがてら、沢山写真を撮った。
おじいちゃん、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉さんの年代の職場の人たちは、みんな目を細めて喜んでくれ、そしておめでとう、と言ってくれた。そして写真も撮った。
沢山写真を断捨離したけれど、この成人式の時の写真だけは捨てられなかった。そのくらい、私にとって幸せな時間だった。大げさかもしれないけれど、結婚式の写真より、とても幸せで、嬉しい自分の顔が自分でも見ていて幸せな気分になれる。
貸してくれた当の本人も、「よかったーーーー!ハナ、きれいよ!!ねえ、良かったでしょう!!!成人のお祝いは大事なの。大人になったのよ!!」「母ちゃん」キャラの強い彼女は嬉しそうに、涙ぐみながら、上から下まで見て、「着付けもちゃんとできてる。うん。きれいだよ、ホント」と自分の事のように喜んでくれた。
何度「ありがとうございました」を私もいっただろう。涙が止まらなかった。
その年の四月、私は就職をし、毎日なれない東京までの通勤でくたくたの日々を過ごしていた。確かその年の冬になるころ、当時付き合っていたホテルの先輩から連絡が入った。
「〇〇さん亡くなったんだよ」
朝のトイレで倒れ、そのまま搬送され、助かることもなく、亡くなったという。私は唖然としてしまった。
仕事で、抜けられない営業さんとの仕事があったこと、そして代表して数人だけがお通夜とお葬式に出るという話が出ているから、ということで、後日お線香をあげに行くといい、と言われ、私は当日、納品の立ち合いで、顧客の現場に抜け殻のように、立っていたのを今でも覚えている。
どの位後に、彼女のお母さん家に行ったのかは今となっては覚えていないけれど、突然の電話にも暖かく対応してくれ、お邪魔したときも暖かく迎えてくれた。
お母さんの前では決して泣いてはいけないと思いつつも、涙が止まらなく。成人式はちゃんとすること、着物を着て写真を撮って、親に感謝の気持ちとともに見せること、そういって、着物を貸してくれたことを伝えた。
そして私の成人式の写真を見せた。
お母さんは、「あの子いつの間にこの着物持ち出したのかしら」と笑った。
そしてそんなことを言ったんだ~。一丁前に。と。
でも、誰かに何かを教えてあげることができたのね。と喜んでいた。
彼女のお母さんは本当に彼女と全く同じで暖かく、素敵な人だった。
先輩が亡くなった日は成人式ではない。でも、成人式のニュースを見るたび、先輩を思い出す。自分の成人式で祝ってもらった喜び以上に、通過儀礼を軽視する若かった自分に大事なことを教えてくれたことを感謝する。
そしてその思いは、子供を産んでより一層大きくなった。親として、やはり子供の成長は見てみたいものだ。うちの親もそういう思いはあったのかもしれないけれど、しつこいようだけれど、「生きていればOK」レベルではあったし、当時、父の転勤も重なり、そのばたばたで、母も子供の年齢すら思い出せないほどだったのかもしれない。
そんなことはどうでもいい。今母はあの写真を見るたびに、会ったことのない先輩に感謝をしている。寸足らずが目立たないように、ポーズを撮った写真。
自分が一番、幸せで輝いていた時だったな、と改めて写真を見て思う。
成人式がコロナで延期される、というニュース。友達に会えるのは楽しみでもあると思う。進学したひと、就職した人、結婚してしまった人もいると思う。そんな友達に会える楽しみ、いいことだと思う。
でも、成人式は本来成人したお祝いであり、きっと育ててくれた親御さんや、親戚、ご近所、その子に関わった人たちに「大人になりましたよ」とお知らせする日なんだよな、と年を取って改めて思う。
こんなこと言うなんて、私も「お年寄り」になってきたのかな、と思う。
戻りたいとは思わないけど、本当にキラキラしていた写真の中の自分を見ると、自分の生きてきた道のりは決して悪くなく、幸せな日々だったのかもしれないと、改めて思えるのだ。
それが年を取った私にとっての成人式の日。だ。