感受性が高いということ、それはきっと幸せなことだ。
私は幼い頃から感受性が高く、いわゆるHSPと呼ばれる類の人間だ。
本や映画に触れれば、主人公の気持ちに没入し、どっと疲れる。
人から怒られると、人一倍傷つきへこんでしまう。
私はこの自分の感受性の高さが嫌いだった。
自身の感情に勝ち、あっさりと対応できる人をどれほど羨ましいと思ってきたか。
特にこの性質に悩んでいたのは、大学生の頃だった。
バイト先でクレーマーに怒鳴られるたびに、たとえ私が1ミリも悪くなくとも、私は深く深く傷ついた。
裏に入って泣いてしまうこともよくあった。
そんな時に、とある大人がこんな言葉をかけてくれた。
「泣いたっていいじゃん、あなたはちゃんと仕事してるんだから。人よりも喜びも悲しみも多いんだったら、単純に悲しみだけ減らせば、すごくハッピーじゃん。」
私はこの言葉をもらった時、素直に受け取ることができなかった。
「人よりも喜びが多い」
この部分がどうしても引っかかって飲み込めなかった。
確かに感受性が高いということは、悲しみも多ければ喜びも多いということだ。
だけど、これまでの人生、悲しみの多さに自覚はあっても、喜びの多さに自覚はなかった。
ただ感受性が高いが故に、私は損をしているとばかり思っていた。
でも今は分かる。
私は幸せ者だ。
綺麗な空を見て、美味しいご飯を食べて、お風呂に浸かって。
そんな些細なことで、人一倍幸せを感じることができるのだから。
最近になってようやくわかった。
あの大人がくれた言葉は正しくて、悲しみの数を減らすことさえできれば、私はとんでもない幸せ者になれるのだ。
だから、私は努力している。
悲しみの要因そのものを減らすことは難しいけれど、その分喜びの数を増やすようにしている。
積極的に美味しいものを食べ、旅行をし、疲れた時はゆっくり休む。
自分なりに、自分を幸せにできるよう、頑張っているのだ。
これからも私は人一倍落ち込み、悲しみ、涙に暮れることもあるだろう。
だけど、その分、いやそれ以上に、人一倍喜び、楽しみ、笑っていきたい。