積読の恋人
積読は私の恋人。白い表紙、黒い表紙、赤い表紙。更に買ってきて、また積み上げる。黄色に、緑に、ピンクの表紙。好きなものだけを集めた満足感と、いつも好きなものがある安心感が心を潤してくれる。時にはもう読んだ気になって、読書家を気取ってみたりもする。安らぎを感じたり、戯れたりする時、恋人との関係はとても良好だ。
しかしいつもそうとは限らない。私には本を読む時期と読まない時期がある。読まない時期が数か月にも及ぶと、関係は険悪になってくる。
週末、埃をかぶらぬよう掃除をし、いつになったら読むのだろうと思う。そのまま放置し続け、しばらくしてから「まだ?」と自分に問いかける。返事はない。その後もかくれんぼでもしているかのように問いかける。まだかまだかと尋ね続け、やっとその気になるのだ。なんて手がかかるのだろう。
だが今回は読まない時期がもっと続いた。自分への問いかけも変わってくる。「果たしてその時は来るのか」「私はもう、本が読めなくなるのではないか」。どんどん勝手に苦しくなった。だけど、まだその気になれない。私は積読によって不安になり、追い詰められていった。
こんな関係を修復してくれたのは、我が家に新しくやってきたグレーのソファーだった。私は一人暮らしで、椅子は一脚しかなかった。それが急に壊れ、慌てて購入したのだ。しかしもう一度椅子を組み立て直したら、ちゃんと座れるようなった。新品のソファーは行き場を無くしてしまう。仕方が無いので、ソファーをベッドの側に置いてみた。座ってみると、なんだか居心地が良い。
今までは食事も作業もずっと同じ椅子。それで支障はなかったのだが、リラックスまではできていなかったらしい。私はソファーで過ごす時間が楽しみになっていた。
ある日、イベントで『シティポップ短編集』という本に出会う。カバーには、青空の下で赤いラジカセと共に過ごすカップルの背中が描かれていた。風に吹かれる二人がとても爽やかで、思わず手に取る。片岡義男に銀色夏生。シティポップが似合いそうな作家達に、赤いラジカセから洗練されたメロディーが流れる。
この本をあのソファーで読んだら、きっと気持ちが良いだろうな。そんな自分の姿が鮮明に思い浮かんだ。
これをきっかけに積読との仲たがいは終わり、今は順調にその高さを低くしている。あの不安だった時期はなんだったのだろう。行き場を無くしたグレーのソファー。それはまるで拾ってきた子猫のようで、私と恋人との仲を取り持ってくれた。そんな妄想をして笑ってしまう。ただの本なのに安心したり、不安になったり。積読は永遠に私の片思いの恋人なのだ。
週末の夜、ソファーの上で本と共に「真夜中のドア」が開く。