今日のコンドーム自販機 : 担当 寺橋佳央
とんでもない題名だが、私はこんな名前のポストをXで毎日続けており、Twitterの頃からすると、もう8年目になった。基本的に毎日続けていて、うっかり日をまたいだとか、体調不良で寝込んだとかでポスト出来なかったのは、ほんの数日。
今日のコンドーム自販機のポストは、正面、左右等から自販機を撮影した写真を1日1枚ポストしている。1つの自販機で5.6枚、1ヶ月で5〜7台の自販機をポストしている計算になる。
ということは、常に写真のストックが必要で、ストックが少なくなれば、撮影に出かけねばならない。
誰にも頼まれていないし、お金も貰えない。それなのになぜ、こんな事を続けているのだろう。
急に自分語りを始めるが、私は仕事で常に家にいない父と、情緒不安定で常に体調不良な母の元で育った一人っ子だ。両親共に常に自分の事で手一杯。そんな環境なので、私は両親に愛されて育った感覚がない。もちろん両親は私に愛情を注いだと言うだろう。しかし残念ながら私には届かなかった。
両親の愛情がよく分からないままに育った私は、得られなかった両親の愛情を他人の愛情で埋めようとする。そのためには、他者から注目を集められる「特別な人間にならねば」と考えるようになる。いわゆる「何者」というヤツだ。
そして「何者」を私は勝手に「ヒーロー」と思い込む。「ヒーロー」なら、とにかくたくさんの人から注目を浴びれる。「ヒーロー」になる、なれる、ならねばと思い込んでいたものの、なれるはずは無く、他にもアレコレあって壊れ、30代後半に心療内科へ。
無理もない。私は不特定多数を相手にした「ヒーロー」になれる、ならねばと裏打ちのない自信と勘違いで出来たスカスカの骨で自分を支えていたのだ。むしろよく30代後半までもったと思う。
親の愛情、マジ大事。
更に親の愛情が子供の自信を育むと思っているのだが、自信が欠けている私の中には常に「薄ら死にたい」が存在している。そして「死」を傍に置いた私は「性」を身近に思うようになった。「性」の快楽は一瞬であっても「死にたい」を吹っ飛ばす。私にとって死を見つめながら、性にも目を向けるのは自然だった。性とはどんなものなのか、どんな魅力が、あるいは魔力があるのか。だけど関心と同時に「性」に関わる恐怖もあった。積極的に関心を寄せると悪用する人々がいる。日常に戻れなくなるのではとの恐怖。自信がない私は、臆病者でもある。だけど関心は止められない。この関心が路上のコンドーム自販機に繋がる。
路上で突然に「性」を感じさせる存在のコンドーム自販機。子供の頃、こんな所に存在していいのだろうかと思っていた。だが疑問に思ったところで、コンドーム自販機は存在している。良いも悪いもない。あるからあるのだ。
「性」、存在 、不特定多数。私にとってのキーワードを持ち続けるコンドーム自販機。自販機は物体だから私に干渉しない。私に自信がなく、私が何者にもなれなくても、そんな私が自販機を見つめ続けても、何も言われない。私が安全な場所から性に関わり続けられるのが、コンドーム自販機だったのだ。
そんなコンドーム自販機は、今無くなりつつある存在だ。それをはっきりと認知した時、私は自分が行ける範囲のコンドーム自販機に会いに行こうと決めた。それが8年前。会いに行くだけのつもりが、自然と撮影するようになり、せっかく撮影したのだから披露したくなり「今日のコンドーム自販機」のツイートを始めた。始めたばかりの頃はここから有名になりたいとも思っていたが、今はあまり(笑)思ってない。
TwitterはXになり、8年前よりずっとタイムラインは忙しくなった。私をフォローしている人でも、毎日のポストを見落としている人も沢山いるだろう。それは全然構わない。
私が毎日「今日のコンドーム自販機」とポストし続けているのは、路上にあるコンドーム自販機の様に「今日も私は生きていました」と1日の終わりにひっそりとタイムラインに流すためなのだ。