ヨークシャー行き当たりバッタリ人生その2『波乱万丈の音大編−初っ端から涙の一週間』社会人音大生の奮闘記
今現在最終課題提出まであと3日。演奏動画は撮り終え、曲に対するディスカッションの部分をビデオ動画では無く文章にした。今回は人前で話すのが苦手な人の為にエッセイ形式での提出も可になっている。昨日1日かけて1600ワード程の文章をポートフォーリオに作成した。スコアも全てアップロード済み。あとは最終チェックのみになったので、呑気にランチのパンなど焼いている。
先週ここにきてまたもやアクシデント。私のクラリネットが故障した。
チューナーでチューニングしても中音部から下はピッチがおそろしく下がっていてもう合わせられない。キーのバランスが崩れて、もはや一体何の楽器か分からない。動画は頑張ってアンブシュアだけでピッチ調整しようと試みたが、音痴な歌声のように耳を塞ぎたくなる。ニンジンに穴を開けて笛を作って吹いた方がマシかもしれない。
一応チューナーでチューニングをして崩壊的な音程な動画と本来ならイースターホリデー中に楽器調整に出して来たる本番に備えるつもりだった事を言い訳がましく書いた。ロックダウンにならなければリペアが出来たのは事実だ。
さて、こんな動画と熱く語った私のミニエッセイだけで合格できるのかどうかは来月末の結果発表を待ってお伝えしたい。
こんなご時世だから留年もありだよね。。と自分に言い聞かせ、全力は尽くした事だけはここへ書き留めて置きたい。
前置きが長くなったが、音大合格後のことを書いていきたい。
合格通知が来て、すぐに学生ローンの申込をした。
この国(スコットランドを除く。スコットランドは学費は無料)では一般的な大学の一年間の学費が£9250(2019-20現在)も掛かる。日本円で約123万円(本日6月29日現在のレート£1=132円)UK、EU外の留学生の学費はさらにこの1.5倍なので180万円は超えるらしい。
私はイングランドに居るので、それを前提で言えば、殆どの学生はこの国がサポートする学生ローンを利用する。親が子供の学費を払う負担は基本的に無い。大学とは学生自らが借金を背負っていくものなのだ。
学生ローンは60歳までは申請出来る。年齢に関係なく学びたい者を受け入れてくれる社会である。
学生ローンのカテゴリーは2つあって、一つ目は学費を直接大学へ支払ってくれるもの。これはスタンダードで申請さえ通れば全ての学生が受けられる。もう一つは生活費のサポート。これは家庭の収支によって決まるので、一概に全ての学生が同じ金額を受け取れる訳では無い。私の場合は家庭内収入が低いカテゴリーな為、ほぼ満額でサポートを受けられた。大体年間£8000(約100万円)程だが、日本と物価や生活費が違うので為替レートで換算したものを日本の状況で想定されると少し違う。例えば30年くらい前は£1=250円くらいだった。誰も自分の国の為替レートの変動を意識しながら生活はしていない。為替レートとはあくまでも国際間での金銭のやりとりが発生した場合、旅行へ行く時などに必要になってくるものだ。
私のように自宅から通学して週末仕事をしている者には贅沢さえしなければ普通に生活出来る。
話は逸れたが、この他にコンサヴァトワと呼ばれる音楽単一大学(英国内に10校しかない)の学生には家庭内収入に応じて無条件で奨学金が貰えるらしい。これは返金不要なもので私は年間£1000ほど戴いていた。
学生ローンは借金なので当然の如く卒業したら返さなければならない。しかも利子が毎年発生する。
しかし、この国の学生ローンは卒業後ある一定額以上の収入を得られるようになった時に生活に支障の無い少額ずつ天引きされて返金される仕組みになっている。
つまり、生活が安定するまでの猶予を貰える。しかも卒業後30年でこの借用期間が自動的に終了になり、借金は全て帳消しになる。今後は分からないが現在はそういう政策になっているようだ。ちなみに卒業後に全額返済できる人の割合は30%程度というのを聞いた。国の財政負担になるが、学生の負担は少ない。
話は長くなったが、学生ローンの審査は無事に通り9月下旬からリーズ音楽大学へ通い始めた。この時点で学校4日、仕事は金土は終日、日曜日は昼間のみ3日のパートタイマーになった。休日はまだ無い。
最初の1年間は毎週 和声、聴音、音楽家サバイバルの為のビジネス講座、音楽学、木管金管のステージレッスン、室内楽アンサブルレッスン、専門楽器のグループレッスン、そして個人レッスンがあった。その他にピアニストさんとの合わせが予約制で週一回、学校主催のオケ等があった。空き時間は練習室で個人練習または室内楽アンサンブルのリハーサルだった。
最初の和声の授業で白板に先生がやたら長い和音と聞き慣れない言葉を連発した。
私は先生の説明を一言足りも聞き逃さないように全神経を耳に集中させた。
しかし言葉の意味がさっぱり分からず、一人青ざめていた。
この部屋にいるクラスメート達は子供の頃から音楽の勉強をしていてAレベルもしっかり勉強して音楽の知識をバッチリ付けてきたのだろう。
その時初めて自分は場違いの所に座っているのだと実感させられた。
あんなに音楽の勉強がしたいと思っていたのに。頑張って音楽理論グレード5も独学で合格したのに。あれはほんの音楽という世界の扉の外から中を眺めた程度だったのだ。考えが甘い、甘すぎる!
長い長い1時間の授業が終わった。
神経の消耗と自分があまりにも惨めすぎて涙が出た。
今日は大学初日の授業なのだ。これが3年間も続くなんて。
早く家に帰って犬を抱きしめて泣きたかった。
でも、まだ今日の授業は続くのだ。とりあえず、カフェでコーヒーでも飲んで落ち着こう。
うちの大学ではリサイタルルームでランチタイムコンサートが毎日のように行われていた。月曜日はクラシック科のランチタイムコンサートの日だった。
最初の月曜日は講師陣によるコンサートだった。
大学の方針で座学の数名の教授以外の先生達は普段は現役のプロ演奏家だった。
だから先生自身のコンサートが入っている時やツアーの時はレッスンの日が変わる。先生達の本業も優先されている。
そういう現役バリバリの演奏家の演奏が普通に学校で聴けてしまうのだ。
これはかなり嬉しかった。マスタークラスなどではYoutubeで見かけた奏者さんが学校に来て普通に話し掛けてくれるのだ。免疫の無い私はクラクラした。
最初の講師陣によるコンサートはなんとあの私を面接した教授だった。
彼は打楽器のスペシャリストでマリンバの演奏をされた。ああ、なんて凄い!当たり前だが、バチの動きが見えない。
続いて、和声の先生のピアノ演奏で声楽家の先生の歌。嗚呼、人の声って素晴らしい。また一人涙出そうになった。幸いリサイタルルームの客席は暗いので誰にも見られていないと思う。
コンサートが終わってから翌週から順番で学生が演奏することを知らされた。割り当て表がきたけど1年生は後期なので心の準備が出来る。
初めての木管金管のステージレッスンの時間だ。
レッスン会場は隣の建物にある学校のホールで行われる。
何度か訪れたことのあるホール。400人弱収容の決して大きく無いホールだが、学校規模で考えれば妥当な大きさだろう。
1年生から3年生までの全ての木管金管奏者の合同レッスンで初めて他の学年の奏者に会った。
このレッスンでも割り当てで毎週数人ずつ演奏を披露する。
最初のレッスンはまだ割り当てが決まっていないので希望者を募った。手を挙げてステージに降りてきたのは2年生のクラリネット奏者だった。
たった1年しか学年が違わないとは思えないほど上手だった。
そういえば、まだ同級生のクラリネット奏者が誰なのかも知らなかった。
またしても私は場違いな所にいるのだと思った。平静を装っているものの心の中は打ちのめされすぎて、学校が終わってからどうやって家に帰ったのかも覚えていない。
和声の先生は聴音のレッスンも担当している。
最初の聴音レッスンで先生が毎回聞き取りテストをするという。
15問のインターバルの聞き取り。インターバルとは例えばドとソの間はパーフェクト5th(完全五度)のように音と音がどういう位置関係にあるかをいう。
このインターバルは全ての音と音の間にあって、それぞれメジャー3rdやマイナー6thなどの名称がある。これはどの調になっても同様である。
この聞き取りテストでは先生がランダムにピアノで弾いた音のインターバルを当てなければならない。そしてさらに和音の聞き取りが10問。和音にもメジャーとかドミナント7th、フレンチ6thなどの名前が付いている。
私の最初の聞き取りテストは3問しか当たらなかった。
これは相対音感を養う練習なので、最初のレッスンでは他の子達もそんなに成績は良くなかった、が、私は抜群に悪くて恥ずかしかった。
私は右耳の聴力が良くない。聞こえない訳では無いけど、左耳の半分くらいしか聞こえないし、聞こえる音域も狭い。
だから、ピアノが左耳側にくる席にいつも座ることにした。
同じクラスに私と同じく右耳が不自由な子がいたのは心強かった。
(しかし、フルート奏者の彼女の演奏技術は素晴らしかった)
現在教わっているプロオケのクラリネット奏者の先生も片耳が聞こえない。
多少不便だが、片耳が聞こえるのなら悲観しなくてもいいのだ。
初めての個人レッスンの日が来た。私の先生は女性のマンチェスターで音楽活動をされているフレンドリーな方だった。この先生には今だにお世話になっているけど、音楽のことだけじゃなく色々と相談に乗って貰った。先生というのは学生の精神面のケアもしてくれるのだ。さらに学校にはカウンセリング室があって専門のカウンセラーさん達が常駐していた。演奏恐怖症ウツになって何度かお世話になったがその話はまた後ほど。
最初のレッスンで私がやりたい曲を聞かれた。楽譜も持参して少し吹いた。緊張のあまりにもボロボロで穴があったら頭から飛び込みたいほどだった。
でも、先生は「みんな最初は緊張するから大丈夫。今の演奏で気になる部分の基礎練をやろうね!」と私は多分先生より年上だけど、幼少のピアノ教室に通っていた頃みたいに頷いていた。
まず最初に前期のテクニカル試験の対策を始めることになった。
最初のテクニカル試験の内容は
全調スケール、短調はハーモニックとメロディック、全調アルペジオ、ドミナント7th、ディミニッシュド7th、ホールトーンスケール、長調全ての三度の跳躍の中から指定されたものを演奏、イエッテルのエチュードから指定の曲、初見では無く10分程度の譜読み時間がもらえる曲演奏、試験官との学習状況についてのディスカッション(面接)とのことだった。
これが最初の、最初っからこれなのーってまた目の前が暗くなりかけた。
実技グレード8の試験も似たような感じなので基礎のスケールやアルペジオやらは全部暗譜はしてある。でもイエッテルのエチュードはバカ難しい。初見が苦手なのを克服出来ていないのでかなりヤバイ。しかも人前で話すのが苦手なのに面接だなんて。取り敢えず練習あるのみである。
初めてピアニストさんとの合わせの予約をした。
夏の間に完了する予定だったらしい5階にあった図書館を違う建屋へ移動させて、図書館があった部分を練習室に改装する工事がまだ終わっていなかった。
ピアニストさんとの合わせの指定部屋は516号室。この改装中の階にあった。
あちこちビニールが被っていて、渡り廊下も塞がっていている。どうやっても516号室にたどり着けない。そうしている間に予約時間になってしまった。
目的の部屋はすぐそこなのに、そこの廊下は閉鎖されている。これは何かの罰ゲームなのか。焦って工事のおじさん達に聞いても516号室への辿りつき方が分からない。
約束の時間から既に数分経過している。あろうことか最初の合わせからすっぽかしだと思われてしまうかもしれない。学校専属ピアニストさんたちはプロだ。これから3年間お世話になる方達に最初からなんという失礼なことを。
どうしたらいいか分からなくて、一つ下の階の部屋のオフィスみたいなところへ「ヘルプ!」と駆け込んだ。そこがカウンセリング室であったのを後で知った。
事情を話して、涙ポロポロ流している私をスタッフさんが手を引いて516号室へ連れて行ってくれた。どうやら反対側の階段から上がると辿りつけるらしかった。
516号室の前にはピアニストさんと私のクラリネットの先生が待っていた。
クラリネットの先生は私が約束すっぽかす筈ない!きっと迷子になったんだ!と思って探してくれていたそうだ。スタッフさんに手を引かれて連れてこられた私はまさしくスーパーで迷子になった子供と同じだ。スタッフさんとクラリネットの先生にお礼を言ってやっと私は516号室に入ることができた。心身とも疲労困憊かつ半泣きの最初の合わせは当然ながら撃沈だったが、反対側の階段の存在を知ったこととピアニストさんとの予約を守ったことだけで満足だった
そしていよいよクラリネットのグループレッスンの時間がきた。
この時は1年生3人、2年生4人、3年生3人の計10人だった。
担当は私の個人レッスンの先生。私がビビりで泣き虫なのを最初の週ながら知っているので、たぶん怖いことはしないだろう。
この時初めてクラリネットの同級生に会った。男の子2人。若い!
2年生に例の木管金管ステージレッスンでボランティア演奏したあの上手な人がいる。3年生は既に貫禄がある。
また思った。みんなずっと音楽勉強してきた人たちなのに、何故ここに私がいる?
足は震えていた。別に誰にも意地悪もされていないけど、心臓のバクバクという音が聞こえた。一人ずつ交代にスケールを吹くことになった。この人たちの前で音出すと思っただけでもう恐怖。順番に来たら私の番はBメジャー!なんで最初にBメジャースケールを吹かなくちゃいけないのか!B♭メジャーが良かった。一つズレればCメジャーじゃないか!つくづく運が悪いと思った。
隣の同級生の男の子をチラッと見たら、彼の手も震えていた。
その後いくつかのパートに分かれてアンサンブルをすることになった。
あーあー私は私は初見ができない人。トイレに行って来ます!とか理由つけて逃げたい。でも楽譜は配られ合奏が始まってしまった。緊張して楽譜が霞んで読めない。みんなが吹いている中ひとり固まる私。指も固まってただ立ち尽くす私。
「ごめーん、私出来ないのー!」ってドラマクイーンの如く泣き叫ぶわけにもいかず、石像のように佇む惨めな私。2年生の優しい人が私のパートを一緒に吹いてくれて石像から少し人間に戻った。最初からグループレッスンはトラウマ恐怖の時間となりひたすら下を向いて誰とも目を合わせたくなかった。
こうして私の最初の一週間は終わった。
小学校1年生の国語の時間、必死に黒板を写していただけなのに突然担任の先生にノートを取り上げられ、「みなさん、見て!ノニさんのこの汚い字!それに比べて隣の〇〇君の綺麗な字といったら」と言われ心が折れた6歳の自分を思い出した。
この時に感じた人より劣っている自分。惨めな惨めな自分。幾つになっても何処に行っても惨めな私。
次回は少し慣れて来たら見え始めた風景です。。少しだけ⤴️になるかも