風に立つライオン
自分の作るクラフトの納期に迫られ、焦る日々を送っている、森のキノコです。
本物の森の中では、「本物のキノコ」たちがあふれている、と森の中でウォーキングしている友人から写メが今日の午後、山のように届きました。
本来なら私もそのウォーキングに行くはずだったのですが・・・。人生というのはなんとも、思い通りに行かないことが多いと感じた本日。
さて、ここ数日考えていたこと。
夏前だったか、ヤフーニュースで、アフリカの小さな村(場所は忘れました。汗)に住んでいる日本女性の記事を読んだことがありました。
その女性は子供時代に、さだまさしさんの「風に立つライオン」という曲を聞いて、そういう世界があるのだと感銘を受けたというようなことが書かれていました。
人の人生を変えてしまうほどの、作品というのに私は興味あって、この「風に立つライオン」という歌をユーチューブで聞いてみました。
(映画にもなったようです)
歌詞の中に出てくる情景が浮かんでくるような、「壮大」という言葉が合うような歌詞。
その中で私の心を揺さぶる歌詞が・・・・。
あなたや日本を捨てたわけではなく
僕は「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです
空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
読み終わった後、深呼吸を何度かして、歌詞を心の中でかみ砕き、消化させました。
そう、このフレーズが先週くらいから頭をよぎるのです。
約5年前、ママ友の紹介で近所のカフェでのバリスタとして働いていました。
当時、40後半の私にはてんやわんやという言葉が合う毎日。
同僚は私の息子や娘といってもおかしくない年齢の子たち(苦笑)
ウクライナ、イスラエル、キューバ、フィリピン、日本。
そして地元の人たち。様々なバックグラウンドの彼らと働くのは、とても面白く、本当に親子ほどの年齢差もある子たちから沢山のことを学んだのです。
この数日思い出すのは、同僚の中で最年少のイスラエルから来たアレックスという19歳の男の子のこと。
彼はとても優しくて、この国に来てまだ1年もたっていなかった彼。
両親思いで、とても頭がいいのに、勉強は嫌い。ゲームが大好きでゲームの解説を休憩時間にやっていたっけ。
ゴミ出しも重くて大変だから僕がやるよ、といつも変わってくれ、
そして、仕事覚えの悪い私にとことん付き合ってくれた。
本当に私にとっては可愛い可愛い息子だった。
そんな彼がある日、お姉ちゃんに子供が生まれたんだ、と教えてくれた。
「おじちゃんじゃん」と冷やかすと、照れくさそうに笑い、
赤ちゃん見に行けるといいね、という私に彼は、「彼らがこの国に来ればの話ね」と視線を床に落とした。
彼には私には想像もつかないような、帰国できない理由があったのです。
「だからさ、お金でも送ろうかな、と思ってね」
と笑顔モードに変わる彼。
「お姉ちゃん思いだね」
この言葉が精一杯だった。
19年という長さの中での人生経験を持つ彼。
40代後半で、ただただ平和な国で生まれ育ち、自分の「夢」だけを追うことができて、この国に来た、自分。
もちろん他の同僚も同じような人生のストーリーをそれぞれが持っている。
私、だけだ。いやこの国で生まれ育った人も似たようなくらい「平和な人生」を送ってきていた。
認めたくないけれど、いわゆる「平和ボケ」な人生を送っていたと思うのです。
私が、日本を離れた理由の一つは、
父親の仕事、家族のバックグラウンド、学歴、全て抜きで、私という人間がどこまで通用するか、試してみたかった。
言葉の通じない国で一から。
仕事も、恋も、旅も、友人を作ることも。
「現在を生きることに思い上がりたくない」
「よどみない生命を生きたい」
アフリカのように、生きること真剣に向き合うような日々を生きるような生活ではないけれど、この言葉があの日本を出た時の自分が心のどこかで感じていたことと同じだったのです。
「生きる」ということに向き合うこと。
そして学んだことは、文化、言葉、容姿は違っても、人間って根本的には同じである、ということ。どの国の人も、愛する家族や友達がいて、その人達を思う気持ちは同じなのです。
彼の国の名前を耳にするたび、目にするたび、アレックスを思い出す。
当時19歳というどこにでもいるゲーム好きの両親思いの男の子を。
19歳だけど、カフェのこと、人生のこと、そして母国のことを教えてくれた、私の先生。
同じ時間の中に存在したのに、彼はどこか「生きること」に真摯に向き合っていて、そう、丁度この「風に立つライオン」の歌詞のように、彼はこの町で生きていたような気がする。そんな空気感を持つ子だった気がします。
この町に彼は今も住んでいると思うけれど、カフェを辞めてからの彼の足取りは誰も知らない。
このカフェで過ごした時間は、私にとっての「世界勉強」であり、この国に来た時の、原点を思い出させてくれるものになりました。
「よどみなく生命を生きていこう」
なんか、今週はそんなことを考えながら、粛々とバタバタと、淡々と日々をこなし、現在を生きることに、思い上がることなく、過ごしていました。
また週末がやってきます。