優しさと経験のバトン
もう日付は昨日になってしまいましたが、石川県能登地方を震源とする大きな地震が起こりました。
前回にも書いたように、ここ数週間、夜に起きることが多い私。
今朝も朝3時に、家のブラインドがカターンカターンと窓枠にぶつかる音で目が覚めて、窓を閉めにキッチンへ向かった。
冷たい風にあたったせいか、目が覚めてしまった・・・・。
起きた時点で、もうきっと朝の5時はいっているか、と自信があったのですが。残念ながら、3時。
体はだるいのに、目がパチリ。
そして追い打ちをかける悪い行動。
ー携帯を見るー
私には言い訳があって、満月新月のあたりでは、いつも地震が気になって、そして、東日本大震災で家族が被災した経験から、つい、地震をチェックする癖がついたのです。
これでも緩和した方ですが・・・・・。
ヤフーを開けると、「6強」という数字が見えた。
起きてしまった猫をなだめながら、ヤフーニュースを見る。
地震が起こったばかりで、まだ詳細が見えてないようだった。
完璧に目がさえてしまった。
そして思い出すのは12年前のあの日。
この離れた距離で、家族に連絡が取れない。でも、地元のテレビではあの大きな津波の画像ばかりが流れて、恐怖が大きくなってきて。
あの時助けてくれた、同じ海外在住の友人たち。
偶然にも彼女たちは日本に帰っている時で、ひとりは第一報をくれた。
連絡を取ってみて。と。
もう一人は、友人知人の電話番号全部よこして。とにかくかけて、お母さんの安全を確認するから。海外からよりも国内のほうがつながる確率は高いと思う、と。
この彼女は、同僚に阪神大震災を経験した人がいて、その人のアドバイスからの行動だった、とのちに教えてくれた。
私はついつい、やりすぎ、なところがある。
なのでそれまで何かにつけ、踏み込めない自分を感じて、人を助けるということがあまりなかったけれど、これ以来、踏み込むことを学んだ。もちろん、時と場合を考えて。
彼女たちには感謝しても感謝しきれない。
そして阪神大震災で経験したことが、この東日本大震災でも、その経験で助けられた。経験のバトンが次の人を助けることができる。
この彼女の行動のお陰で、連絡網が途絶えていた母の避難所も見つけることができ、元気にしていることも分かった。
そして第一報をくれた友人のお陰で、地震後に、津波が届かないところで、同じ方向に向かう車を運転する女性の助けを借りて、帰宅途中の母と話をすることができたのだ。
本当に、ありがたかった。
今日、地震があった地域には友人は誰もいない。
しかし、今朝母に電話をした。
案の定「怖い~怖い・・・・」と電話口で声を震わせていた。
きっと年齢もあるけれど、あんなに「強靭な母」があの日を境にとても弱くなってしまったのだ。
余震が続いている能登地方。
これ以上大きな地震が来ないことを祈ることしかできないけれど、みんなが安全で心地のいい場所で、この夜を過ごしていることを心から祈るばかりです。