精神障害の理解が進まない理由
まず、この記事は健康な健常者が読んでほしい。
また、当事者で頑張ろうとしている人は読まない方がいい。
なぜなら、この話をしたところでどうしようもないからだ。
注意喚起したところで、話を進める。
精神障害の理解が進まない理由に、それぞれに出る症状が違う為、それに対しての柔軟な理解や対応が求められるというのが一般論だと思うが、個人的には、障害者が説明を諦めたり面倒くさがったりするのも一因ではないかと思っている。
当事者目線でここから説明していく。
どういうことかというと、簡単に言うとめっちゃツラいときに何もわからない人がそれってどんな感じなの??って聞いてきたら、ただでさえダルい体調なのに煙たいのである。
スカート丈を短くしたい年頃の子に、なんで短くするの?って聞いたり、地元の問題に地元に関係のないジャーナリストがずかずかと踏み込むのに似ていると思う。
言葉にしにくい葛藤や辛さを言葉にするのはかなり体力がいることで、それを理解したい人達に説明するのは、無償での労働に近い。
結果的にマイノリティであるから生きづらくて福祉に頼らないと生きていけないが、健常者の介護に対してこちらも応えてあげないといけないのだ。
相手は、本当に分かりたいと思って聞いてくれる人、仕事上理解しないといけないから聞いている人、分かりたいと思っているが社会のバイアスがかかりすぎていて通じず、頓珍漢なところに落ち着いている人など様々だ。
それを理解して欲しければ、その人達に合わせて説明する必要があるのだ。
よほどの活動家じゃなければ、この作業を精力的にしようとは思えないと個人的には思うのだ。
その結果、「面倒くさい」だったり「何回言ってもなんか伝わってない」から、放棄や諦念が起きてなおさら理解が進んでいないのだと思っている。
(余談だが、私が福祉でみていただいている人は、同業の理解のない人に厳しい。あの人は理解できない人だからと、積極的に関わりを断つように提案してくる。同じ健常者同士でもそうなのは、個人的に少し面白いと思っている。)
じゃあどうすればいい?と言う話になると、最初に話した通りどうしようもないのである。
お互いがお互いにやってあげている事である限り、この関係と理解の進まなさは続いていくのだと思っている。
逆に、個人の能力次第だが、お互いがお互いを知りたい、理解したいという前向きな努力で歩んでいけるなら、とてもいい関係や理解で社会で歩んでいけるのだと思う。
これが出来ないのであれば、精神障害者側がなんかあった時に薬を飲んで寝ている方が、お互いに楽でいい。
そしてこのnoteを見て精神障害者様だと思うのならば、たぶんずっと分かり合えないのだと思う。
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