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いち障害者からみた多様性

自分で書いといてですが、なんかタイトルが重そう。

多様性の尊重という動きの中で、どこまで尊重が必要かどうかについて思ってることがあって。
それは、その多様性は我慢すればまあ生きられるか、それともどうしてもそれに対しての尊重がないと生きていけない、だと個人的には思っています。
これは障害が障害なりえるか、病気が病気なりえるかの話と一緒じゃないかと思っています。

その前提があって、その中で自分自身のカミングアウトでさらなる配慮や理解を得るのが自分らしく生きる(生きづらさだったり、抑圧から解放される)になるのかなと思っています。

障害のグレーゾーンでは、虹のように境界がなく、人によって様々であるとよく例えられます。
特に精神では人によって必要な処置が異なるので全部が全部叶えられない。
でも、その人にとっては我慢では無理で、どうしても身体を壊してしまうから、日常生活に支障が出るから障害という言葉が似合うのだと思っています。

具体的に例をあげて話をすると、トランスジェンダーの人に性別を隔てず利用できる権利があるとすれば、男性/女性恐怖症の方とどうしても折り合いがつかなくなるなどがあると思っています。

結局その人たちが尊重されることで割を食う人がいるとして、どちらがより多いかだったり、どちらかは尊重しないと生きられなくなるだったりで、なんらかの折衝が必要になる。

その判断をするのは社会だし、政府かもしれない。そしてその結果を受けて、いかに自分が生きやすく生きるかの模索は常に必要なのではないかと思います。

ちなみに私は他の人より働けるし、倒れてる日を含めても他の人よりも進捗よく仕事ができますが、2週に1回は必ず倒れて勤怠が安定しないので、やっぱり障害者だし勤怠重視の日本では敬遠されがちです。難しいね!

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