私の「運命」は、ある老婆による衝撃の一言によって告げられた
少し昔の話をします。
2013年、いよいよ長男が生まれるかもしれない、という父親としての覚悟を持たなきゃいけないな、という頃の話。大阪でとある企業の中途入社面接を受けていました。
面接は撃沈し(まったくといっていいほど手ごたえはなく、帰りに妻から頼まれたマダムシンコのクレムブリュレを買っていかなきゃ、と思いながら)帰り道、通天閣の下を通りかかったとき、
妙に引き付けられる老婆がいました。老婆、と言っては失礼なのかもしれないが、少し薄暗く人気の少ない通りで、その女性は、物静かな雰囲気から、老婆と呼ぶのにふさわしい出で立ちで、そこにいらっしゃいました。
占いなんて信じない、と思っていた私も、
このときは、将来を決めるためにモラトリアム状態。
何か指針となるものが欲しい、と思っていた気持ちがあったためか、普段なら通り過ぎる占い師の、手作りとも思われるその椅子に、気づくと座り、生年月日を話し、そして、右手と左手を言われるがままに女性に見せ、女性からの返事を息を飲んで待っていました。
いろんな話をされたのかもしれません。
性格についての話や、家族構成とか聞かれたかもしれません。でも、過去の仕事のことや現在の仕事のことは、特にこちらからしゃべっていません。
とても印象に残っている一言があります。
それは、私が、「私はどんな仕事に向いているんでしょうか。」という質問に対し、
「あなたは、一生教える仕事から逃れられないでしょう」
と私に言い渡したのです。
それ以外覚えていません。それくらい衝撃の一言だったのです。一言、その強い口調で、でも静かに言い放たれた将来の仕事について言い渡されたことが、雷に打たれた、というのか、電気が走った、というのか、そういう衝撃を受けたことを、今でも覚えています。
それに対して、「え?いやだなぁ」とか、「塾講師は辞めたのに、何故、また教える仕事をしなきゃいけないんだ?」という反発は不思議と起きませんでした。
どちらかというと、すんなり体の中に浸透してきた運命とでも言うべき言葉を、
今でも時々、思い出し、誰かに何かを教えている自分と重ね合わせ、
にやにやしている瞬間に気付くことが、幸せであるなあ、と思います。
そして、運命というものは、もともと決められているものである、という、いわば迷信のようなその事象は、
ふと訪れた大阪の老婆(あえて、老婆と言わせてもらう)の言葉を用いて、私に気付かせてくれた。私を導いてくれた、のかもしれません。
そんな私は、その後、紆余曲折もある中で、いろんな組織と関わりますが、「教える仕事」はどこかで続け「教える」立場で仕事をさせていただき、
これが私のルーツであり、生きる道なのかな、という場面が続いています。
やっぱり「教える」こと、って愉しい!!と思える自分がいます。
みなさんは、運命を信じますか。
運命とは、天命とも言います。天が運んできた命令、すなわち、生まれた時から決められていた命のつかいかた。
偶然出会った老婆の、一言が心に突き刺さって抜けない経験をしました。
そして、馬鹿げていると思われるかもしれませんが、それこそが、私の運命であると信じています。
偶然ではなく必然。
あたるも八卦、あたらぬも八卦。
案外、運命(=天からのお告げ)なんて、そんな仕組みなのかもしれませんね。
それでは、また。