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自分らしさを追求するのは、過去に否定されたから

※今回の話は、有料級の価値があると思っています。ぜひ、最後まで見ていってください。もし、少しでも価値あり!と思ったなら、ぜひ、サポートお願いします。

幼少期の頃
母に
「女の子らしくできないのかしら…」

それが痛烈な、体験として残っている。

だから、私は「自分らしさ」を探究し続けているんだろうな。
そんなことを、とある動画を見ながら、幼少期の頃を振り返っていました。


◆アイデンティティ(自我の確立)よりも、「女の子らしさ」を求められてた時代。

私が子供のころは、
子ども服は、大抵ピンクか水色が用意されている。
ピンク色は、女の子の象徴。水色は男の子の象徴と言わんばかりに。
ピンクよりも水色を選びたがる私。
幼稚園の頃から、好きな色は青だった。
ピンクや赤は好きになれない。
小6〜中1の時に好んで着てた、赤のトレーナーが珍しく覚えているほど。色一つ取っても、女の子らしさは、薄い。

子どもの頃、プロ野球選手になりたかった。
当時、本棚には兄が買ったドカベン(野球漫画)があった。

純粋に野球やキャッチボールが好きだった。
でも、野球ボールを手にすると⚾️
また、母が「野球は、女の子のやることじゃないのに…」
だから、隠れてやるしかなかった。
まあ、子どものやることだから、親から見たら、ちっとも隠れてなかっただろうけど。

元々小学校の野球チームには、女の子は入れない決まりだった。
もう、それぐらいの歳の頃には、世間で女子プロ野球選手がいないことも理解してきた。

当時、小学校には、サッカーチームもあった。
そのサッカーチームには、数人の女の子、同級生が加入していた。
彼女たちは、男子たちよりも上手かった。
なのに、試合に出れないと聞いた。
女の子たちが出場すれば勝てるだろうという噂も聞いた。

当時は、それが現実だった。
性別で職業が、限定される。
今でこそ、なでしこジャパンがあるが、そんな夢は当時は描けなかった。

スポーツの世界だけではなかったように思う。
今でこそ、鉄道会社で、女性の車掌は、珍しくなかったが、それも20年くらい前から、ようやく誕生したぐらい。

男と女というだけで、単純に分けられてた世界があった。

私には、女の子らしいと言われる職業に興味が持てなかっただけだと、今でも思ってる。
実際、大学のころには、女の子たちには、憧れのパン屋さんでのバイトをしてたから。それも、誰でも受かるよと言われているマクドナルドのバイトでさえ落ちた私を、気にして、母親が知り合いのつてで働かせてもらったという、笑えないオチなんですが(苦笑)

◆おままごとに興味が持てない

幼稚園の頃、当然、野球が好きな私がおままごとやる発想はない。
でも、何故か、幼馴染の男の子に「ゆかちゃん、おままごとやろう」と言われて、たまには、やらないとおかしいかな?ぐらいの気持ちで付き合った。

砂場でのおままごとで、私は、彼が作ってくれた砂のプリンを🍮思いっきり、口の中に入れてしまった。
幸い、彼や周りにいた人たちが
「ゆかちゃんが、砂のプリンを食べちゃった❗️」と大騒ぎしてくれたので、私はすぐに出して、ことなきを得ました。

この時、「やっぱり、おままごと向いてないんだな」(女の子らしくできないんだな)と感じたのです。

母は優しい人だし、お料理も上手で、立派な人です。でも、母のようになりたいとも、思わなかったし、母は母、私は私という感覚がずっとありました。

◆クラシックバレエと少林寺拳法

子どもの頃、なぜかクラシックバレエ習わされてた。
母が行かせたがっていたのか、よく覚えてないけど。
でも、数年で「辞めたい」と母に言った。
(というか、逆に、数年もよく通ってたな?という素朴な疑問もあるが)

他にも公文と習字、塾、ピアノ、まあ被ってない期間があるにしても、よう習い事してたなと思う。

習わなかったけど、後から聞いて「ああ、やりたかったかも〜」というものに、少林寺拳法があった。

小学生の頃、ジャッキー・チェンや、リーリン・チェイ(映画少林寺の主役)が、好きで良くモノマネしてた。
兄は兄で、ブルースリーに憧れてヌンチャク作ってたけど。

母は、後年、「クラシックバレエを習わせている時は、全然上手じゃないし、楽しそうでもなかったけど、ジャッキー・チェンのモノマネは、上手だったわよねー。そっちを習わせれば良かったのかしら?」と。

分かってたんなら、早く子どもの適性見つけてよ…と大人になってから、絶句する私でした。

◆タイツとスカートが嫌い

小さい頃からズボン一択。
まあ、学生の頃の制服スカートとかぐらいは、履いてました。
そこに強い抵抗があった訳じゃなくて、好きに選べるならズボン、好きに選べないなら、与えられたものを履きますよ、的な感覚。

タイツとかずり落ちるのが、気に入らなくて、股がスースーする感覚が好きじゃなくて、ズボンな、だけなんですけどね。
でも、子どもの頃、タイツとスカートって、可愛さの象徴みたいなイメージがありました。

ウチは男兄弟に挟まれているんですが、男兄弟の方が、赤ちゃんの頃の写真見ても「可愛い」んですよね。
年の離れた弟になんか、スカート履かせたら、すごい似合っていて、保存したいぐらいのヤバさがありました。

なんか、ウチ、男女逆転しておらんか?と思ったぐらい。
実際、女の子の私は家事手伝いさせられてたけど、何故か、家事手伝いをしない男子陣(兄と弟)の方が料理作るのが上手という、逆転現象が起きてました。

私は、両親の介護の必要に迫られて、料理する様になったけど、苦痛でした。
まあ、やることはやりましたが。

◆では、心は男の子なのか?

今でこそ、LGBTQが出てきたけど、その中の「T」トランスジェンダーか?と言われたら、うーん、身体が女の子なのは、認識しているけど…というぐらい。

男の子と張り合っても勝てない感覚は、どこかにあるし、男友達に「女の子らしくなくても、つっちーは、女の子だよ」と言われた時は、ホッとした記憶があります。

実際、トランスジェンダーの人を、僅かですが知っていますが、本当に性転換しちゃうんだー?とビックリしたぐらい。

◆女の子らしさ、男の子らしさで分けることに

多分、自分の中では、大して重きを置いてないというか、幼少期の「女の子らしくできない」から、その欠如感から、「自分らしさ」を強く望むようになったんだなと感じます。

たいていの人は、親の姿に憧れ、親みたいになりたい、あの人みたいになりたい、というものを持ちつつ、大きくなっていくのだと思います。

私の場合、モデルケースを持たずに来ている感じですかね。

また、親たち世代の、思い込みって怖いなあと、今更ながらに思ってます。
「こうあらねば論」が、蔓延ってた。

それこそ、「前例がないから」という言葉で片付けたがる世代?

◆幼少期の強烈な欠如感は

その後の人生の、価値の序列の上位に来るようです。
私の「女の子らしくできない」と言われた体験は、「自分らしさを否定された」欠如感へと繋がり、「自分らしいって何だろう?」と追究する原動力へと変わっていきました。

みなさんも、そういうことないですかね?
小さいころ、体が弱かったから、メチャクチャ健康美容に詳しくなったとか。

過去には、セルフプロデュースセッションをサービスとして提供していたこともありますが、その前提として「自分の人生は、自分でプロデュースできたらいいよね?」という、単純な動機からでした。
今思えば、私自身が、「自分の人生を自分でプロデュースしたい欲求・価値観があったから」としか言いようがないのですが。

あなたにとっての幼少期の強烈な欠如感は、何でしょう?
そして、それが今でも、それを追いかけ続ける原動力となっている、大切にしている価値観に繋がっているところはないでしょうか?

◆命という漢字は、

「【人】に、【一】番【叩】かれる」という組み合わせで、できている。
天命というものは、「天が人を一番叩く」ということにも繋がります。

私は幼少期の頃に、アイデンティティ(自我の確立)を否定されたこと、それが一番、天から叩かれたことになります。
他にも、天から叩かれたと思う体験を上げていきたいと思います。
それらは、いずれも価値の序列の上位に来るようなものです。

□難聴→自己対話、少数対話

他にも、私は、生まれつき難聴(発育不良)ということもあるけど、周りに話をじっくり聞いてくれる大人がいなかったことから、相手が何を考えいるのか、聞き役に回るということや余計な物音・会話を聞く必要がないので、自己対話や、少数対話が得意になった。

□別荘買って持ってるのに貧乏?→お金って何?本質追究

他にも、幼少期に限らないけれど、天から叩かれた体験は、中学の頃に別荘を買って持ってた我が家が、高校の頃「貧乏になった」と父に言われて、そのショックから、「お金って何だろう?」という資産形成や、お金の本質に対する探究をかなり長いことやってました。
当時のベストセラーとなった「金持ち父さん貧乏父さん」の本を読みましたし、その巻末で紹介されていたキャッシュフローゲームを10年近くやり続けてました。

これも、お金の面で「天から叩かれた」と言えそうです。

□父と母からの、教えてもらえない・聞いてもらえない体験

「人に教えるぐらいなら、自分でやる」(母)
また、母はなんでもできる人でしたが、「人にできるように教える」ということだけは苦手な人でした。
それでなのか、私は逆に教え上手、教え魔になりました。
多分、父も多少は教え上手だった部分もあるかもしれませんが。

そして、父はアスペルガー気質を持っていたため、人の話に対しても
「お前らの言うことは、よくわからない!」(父)と侮蔑する人でした。
その父からの侮蔑の言葉を払拭したいのか?今でも「人にわかりやすく伝える」ということが、価値の序列の上位に来ます。

幼少期から思春期の頃の痛烈な体験が、その後の人生のカギを握っている。

そう思ったら、あなたの中にもありませんか?

あなたの価値の上位に来るものは、磨けば磨くほど、伸びていき、そして、他の人からも、「もう、十分それは、満たされているんじゃないの?」と思っても、本人の中には「まだ足りない、もっと満たしたい」という思いに駆られるものだそうです。

★ワーク:幼少期の欠如感に繋がる体験は何でしたか?
     今の自分の価値の上位に来ているものとリンクしていますか?

あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

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