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妥協の人生と本氣の人生と

「自分らしく生きたい」と、思ったこと、ありますよね?

冒頭から、質問で、なんなんですが、この「自分らしく生きる」って、どういうことかな?と、ふと思ったんですよね。

私自身、若い頃から、「自分らしく生きたい」と切に願ってた氣がします。
今は、どうなの?と言われると、なんか、昔ほど「自分らしく」ということにこだわらなくなったというか、それなりに、自分らしく、自分の本心に嘘をつかずに生きていられるようになったかなと思うのです。

ただ、この「自分らしく生きる」という表現をもっと突き詰めていくと、【妥協の人生をやめて、本氣の人生を生きる】ということだな、と氣づいたのです。

そのためには、自分自身のハート(心)が何を望んでいるのか?
頭(脳)や思考で考えるのではなく、ハート(心)が心底望んでいるのは何か?ということを、自分自身と対話できるようになることが、前提だと思うのです。

これを、
「人のせい、お金がないせい、身体のせい」としてしまうと、前に「心の操縦席に【誰か】が座ってないか?」の記事で書いたように、「人生の操縦席に、自分以外の存在を座らせている」と言うことになってしまいます。

つまり、自分の人生を
「人に任せてしまっている」
「お金のあるなし(足りる・足りない)で判断してしまっている」
「身体が言うこと聞く、聞かないで判断している」

ことなんですね。
結局、自分の本心を偽っている訳です。

例えば、「○○がやりたい」
そんな時に、「お金が足りない」「家族が反対する」「そんな体力がない」という風に言い訳して、やらない。
これって、「○○がやりたい」ことって、本氣じゃないってこと?という風に、心や頭(脳)は受け取ってしまいます。

そういう場合は、たとえ仮に、
「家族が賛成しても」
「お金が十分にあったとしても」
「身体が健康だったとしても」
やらないんですよね。

だって、本当の心の声聞いてないから。
そして、また、別の言い訳を作っていく(仕事が忙しいから、とか)

結局さぁ、何がしたい訳?と小さな小さなリトル自分(小さな小さな心の中の自分)は首を傾げたくなる。
「妥協の人生を送りたいなら、そうやって言い訳し続けてたら?」

それを繰り返していると、リトル自分は、しまいには
「僕(私)の本当の心の声を聞いてくれないんなら、もういい!」と言わんばかりに不貞腐れていきます。

そうすると、ますますやりたいことがわからなくなっていく。

「自分らしく生きたい」と願っているのに、やっていることは、人に嫌われないように、自分を偽ってしまったり、自分の氣持ちというか、心地よくさせてないこと、私もやっていたんですね。


◆私自身の変化

ようやく、つい最近ですかね。
元々、イベントとか集まりに行くのって、好きでも得意でもないんです。
ただ、何かの際には氣の合う人が見つかることもあるので、行くこともあったんですが、東京から湯河原に移住すると、距離的な問題もあって、そんなに積極的にイベントに行かなくなったんですね。

つい最近も、イベントで、たまたま初島でやるということで、私の住んでいる湯河原から、隣の熱海駅に行って、船で移動すれば行ける!ということで、行ってきました。

私自身、なんでか、昔から島めぐりというか、離島に行ってみたい願望があって、海外はハワイとかサイパンとか行ってたんですが、国内で離島って、あまり行ったことが無くて・・・

それも、初島は移住して身近になったというものの、意外と話を聞くと湯河原住民は初島に行ったことない人が多いんですね。
私も、なんだかんだ言って、行く機会がないままでしたが、先ほど書いたイベントで、「ようやく行ける!」と言うことで行ってきたのです。

ただ、そのイベントは、毎年、東京とか横浜でも開催してたりして、参加者も顔なじみとか、顔見知りもいたんですが、私の中では、「交流」という感じでもなくて、例えていうなら、お祭りで、親しくない近所の人に久しぶりに会って、「こんにちは~」とあいさつするような関係?という位置づけになってたんです。

いつもだったら、深く交流できない物足りなさを感じてたのが、今回は、「初島に行く」ということが目的で、交流はたいして目的じゃない・・話しかけられたら話し返す程度、にしてたら、結構、自分の心が、非常に穏やかだったんです。

この違い、文章でどれだけ伝わるかわかりませんが、良い人ぶって、会話を積極的にしようとか、懇親会に出て、知り合いを増やそうとか、知り合いの人ともっと深く交流しようという氣が全くなかったんですね。
なので、イベント終わって、他の人たちは熱海で懇親会に行くところをさっさと自宅に戻ってきてしまいました。

ある意味、こんだけ、自分の目的とかやりたいことに忠実にいられるようになったのが、面白いなぁというか、不思議だなぁというか。。
もちろん、5月に緊急入院して、体調もだいぶ良くなったとは言え、まだ肉体優先の生活をしているので、人に合わせるとか、交流の優先度を高くしないとという、身体との対話から決めていることでもあるんですが、多分根本的に、「すべての人に好かれなくてもいいや。嫌われてもいいや」という開き直りもどっかにあるのかもしれません。

これって、妥協の人生ではなく、自分の本心に正直に生きている証なんだと思います。
若い頃は、懇親会の場とか、人にどう思われるか?で生きてたと思いますが、最近は、あまり氣にしてなくて、逆に

「え?人って、そんなところ見てるの~?」と思うこともしばしばあります。
それだけに、どう見られるか?どう見えるか?ということよりも、自分がどう感じるか?にかなりシフトしていると思います。
その分、周りを見てないところもあるかもしれません。
最近は、「○○でお見掛けしてました~」と声を掛けていただくこともあるのですが、私自身が「すいません、存じ上げてなくてごめんなさい。」と言うことが増えてきました。

果たして、これは良いのだろうか?とも、思うのですが、今のところは、それで怒られたりとか、相手の氣を害してしまうことはないので、問題ないのかな?と思っております。

◆人は案外(他)人のことを氣にしていない

私が、ちょうど精神世界やスピリチュアルのことを追究をしだしたのは、2012年の頃。
それこそ、エイブラハムとか、バシャールとか、そういうのも追っかけてましたし、それ以外にもこれは!と思う方の動画を母と一緒にせっせと見ていました。

その中で、寺尾夫美子さんというスピリチュアルカウンセラーの方が、動画の中で良く仰っていたのが、
「人は、たいして見てませんから!自意識過剰!!!」というのが、言い方も含めて、面白くて、それを母と話題にしていたものです。

この自意識過剰ということを、受け入れてしまうと、人は案外人のことを氣にしてないし、見てないもの。
そう思ったら、自分のしたいこと、やりたいことの方を、少しずつ大事にしていった氣がします。

私は、寺尾夫美子さんの動画で、人の目を氣にしなくなりましたが、世間体を大事にしてきた親世代は、そうでもなかったようで、なかなかすんなりと受け入れられなかったようです。

都会だと、隣は何をする人ぞ?というのが、当たり前ですが、田舎や近所付き合いのある地域や場所だと、すぐには、【人は案外(他)人のことを氣にしてない】と言っても、「SNSよりも早い地域ネットワーク」という言葉があるぐらいですから、そうもいかないんでしょうね。

ただ、噂は早くても、いつまでも続かないと思っているので、噂にされることを恐れることもないかなと、個人的には、思っています。

『人の噂も七十五日』と言われますが、今では次々にニュースが出てくるので、昔のように75日も掛かることは無いと思っています。
噂にされたとしても、
「あ、また噂にされちゃった」ぐらいの軽い氣持ちでいればいいのでは?と思います。

◆良い人、優しい人でいることを卒業する

人は、良い人、優しい人に見られたい願望があると思います。
それは、良い人、優しい人は、人格者のようにも思えるからでしょう。

ただ、カウンセリングを勉強した時に、「イイコ心」というキーワードがあり、これが高いと、ストレスを強く感じていることが多いというのも分かったんですね。

人に良く思われたいがために、自分の本当に言いたいことや、やりたいことを、グッと飲み込んでしまう。
そんなことをし続けると、本当の自分で生きられなくなるし、なんなら、溜まりに溜まっていくと、絶対にどこかでバランスを取ろうとして暴走しだすんですね。

だから、痴漢などで多いのが、教職だとか、聖職と呼ばれるようなお仕事に就いている方が犯すことが多いそうです。
実際に、「あんな良い人がどうして・・?」という事件だってあるでしょう。

それは、人の心には、光もあれば闇がある。
ネガティブになるときもあればポジティブになることもある。

どちらか、片方と言うのはあり得ない。
だから、カウンセリングを学んだときに思ったのは、良い人、優しい人に、必ずしもなる必要はないんだな。むしろ適度にガス抜きしないと、人は無理なんだなと思ったことです。

それに、「イイ人」というのは、「都合の良い人」という置き換えもできるほど、自分を自虐にしてしまえばしまうほど、人から大事にされなくなるという、矛盾が生じてくるのです。

だったら、人に大事にされようとする「都合の良い人」になるのではなく、自分の心に忠実な人になる。
その方が、絶対、自分自身を幸せにしていけるのです。

だからこそ、良い人、優しい人でいることを卒業してしまいましょうという話なんです。

◆本氣と妥協

結局、本氣って、自分の人生に、どれだけ本氣でいられるか?と言うことなんだと思います。
それを、安いからと言って、2番手3番手のもので済ませてしまう。

それって、本氣で欲しいものだった?と自分に問いかけ直す必要があります。

今流行の、断捨離とか、ミニマリストというのは、とにかく、自分が欲しいもの、必要なもの以外、手放しましょうというところから来ていると思います。

それは、モノとの向き合い方だと思いますが、それは、心の向き合い方にも通じるのだと思います。

そうやって、考えたときに、家の中に、今は大して使わないけれど、いただいたものとか、買ったもの。
全部、バサッと捨てるほどの勇氣はないけれど、一応、使い切ってあげようかなという感じで、せっせと消費しているものとかが、あります。

それが、1個使い終わり、2個使い終わり・・となっていくと、本当に必要なものが見えてくるんですね。

だから、「やりたいことが無いんです」
「やりたいことが見つからないんです」という人は、まずモノを捨てたり、整理してみるところからやってみると良いと思います。

なぜなら、モノの整理は、思考の整理に繋がっていくから
もちろんこれが、比例してない人も、中にはいます。
散らかっているけれど、頭の中はしっかり整理されているから、どこに何があるか、分かっている人と、
モノはスッキリしているのに、頭の中がごちゃごちゃしている人と言うのは存在します。

それでも、基本的には、モノの整理と思考の整理は連動していると思っています。

とはいえ、私の場合、モノの整理のプロではないので、そのあたりはモノの整理のプロにお任せしようかなと思っています。
その代わり思考の整理系が、私の立ち位置だと思うし、知識・情報量やそれをわかりやすくというのには、自信はあります。

いずれにしても、モノの整理と、思考の整理、を夢や願望、やりたいことが見つからないときは、やってみましょう。

◆一事が万事

一事が万事。
この言葉を持ってきたのは、本氣になるために、大きな事をやる必要はないということをお伝えしたかったからなんです。

本氣になる瞬間、なれる瞬間というのは、実は、小さな物事の積み重ねなんですね。

もっと言ってしまえば、お昼に食べるランチメニューも妥協しないで、本氣で考えた?というところからなんだと思います。

主婦の方だったら、「旦那さんが好きなモノ、子どもが好きなモノ」ではなく、「自分が今、食べたいモノ」を本氣で考えようよ、ということ。

こういう、一つ一つのことを丁寧にやることが、【一事が万事】なんだと思っています。

潜在意識の動画系などでも、【全部繋がっているんです】というセリフをよく聞くと思います。
これは、ランチを本氣で食べたいモノで考えるのと、就職活動や結婚、起業など人生のライフスタイルを大きく変えるような決断というのは、実は一緒なんです。

それを、ランチを本氣で食べたいモノではなく、
「とりあえず、冷蔵庫の中にあるものでいいや」で作るのとでは、心の充実度が違うと思うのです。

そういう、とりあえずのものでいいやと考える人は、就職や結婚、起業なども「とりあえずのものでいいや」になりがちなんです。

分かります?
え?そんな大げさな?と思うかもしれません。

でも、なんとなくで選んだ人生にしてしまうことって、あると思うんです。
なんとなくの人生になっている人は、普段から、「なんとなく」で生きていますし、口ぐせも「なんとなく」で来ています。

本氣の人は、
「本氣で自分の人生、変えようと思った」とか、語っていると思います。
あるいは、
「いつ、本氣になりますか?」とか、人に問いかけてたりすると思います。

それぐらい、大きな決断の時だけ、本氣になるのではなく、普段から、本氣で、自分の食べたいモノ、やりたいモノ、向き合ってみましょう。

そういうところから、自分らしさというのが、見つかっていくと思います。
今回は長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

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※文中、常用漢字の「気」を「氣」と表現していますが、
「氣」は、氣が広がる、エネルギーを増幅の意味で、
「気」は、気が締まる、エネルギーが閉塞する意味合いだと認識しています。そのため「氣」の漢字を多用しています。

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