聖母マリアとの取引
真中は自宅に戻ると、聖母マリアと彼女の指示で届けられた不思議のメダイに関する調査をはじめた。
メダルの中央には聖母マリアの立ち姿があり、両手を広げ「誰でも迎え入れる」雰囲気を漂わせている。メダルの周囲には、「ああ、原罪なく宿され給いし聖母マリアよ おんみによりたのみ奉るわれらのために祈りたまえ」(フランス語で O MARIE CONCUE SANS PECHE PRIEZ POUR NOUS QUI AVONS RECOURS A VOUS)というマリアへの祈りの言葉が刻まれている。
なぜ、聖母マリアは、わざわざパリの修道女に祈りの言葉を刻むよう命じたのだろう。キリスト教徒なら信仰の証として記憶しておくものではないのか。真中はまた由来書にあった「聖母の弾丸」という表現が気になってしかたがなかった。ひとびとがあまりの効果に驚いたというだけではないような気がしたからだ。それに聖母マリアのもたらす恵みを表現するのに弾丸とは、いささか過激すぎる。聖母の弾丸は何を撃ちぬくためのものだったのだろう。
聖母マリアについて知れば知るほど、自分の体験について考えれば考えるほど、真中には、数限りない疑問が芽生えた。その答えを求め、再三再四、シスターに手紙を書いた。一週間、二週間待っても、返事は来ない。シスターの携帯はいつも留守番電話になっていた。修道院の代表電話にかけても、あれこれと理由をつけては一度も取り次いでもらえなかった。
接触を避けている。最初の手紙で見せたあの情熱はどこへいってしまったのか。なにが彼女をこうもしり込みさせるのかと、真中は不可解でならなかった。
あのシスターだけではない。すべての教会、教団関係者が一様に怖れ、過剰なほどの拒絶反応を示して質問に耳を塞いだ。
「聖母マリアの件で、話すことはなにもない」聖母の名を冠した別の教団の大司教は彼の質問をさえぎり、声を荒げた。
忘れたころに、シスターからの手紙が届いた。彼に起きた不思議な現象については、聖書からの表現を借り、前言を翻して否定した。
「決してあなたの言うような現世での物質的なご利益などではなく、あくまでも精神的な至福こそが、天国へ導かれるということです。聖母の恵みであるはずがありません」
ふざけるな。真中の苛立ちは頂点に達していた。
ある日突然、聖母マリアが夢枕に立ったとはいえ、怪しげなメダルを送りつけ、彼をこの事件に巻き込んだのは、間違いなく彼女のほうである。にもかかわらず、いざとなるとまともに答えようとはしない。真中はシスターの心変わりに、「なにか裏がある」と感じ、そして途方もない計略を思いついていた。
誰もが口を閉ざして真実を語ろうとしない。ならば、直接、聖母マリアに聞くことにする。元々、これは聖母マリアのほうから一方的に、しかも勝手に仕かけたことなのだ。敬虔なカトリックどころか信仰心すら持ち合わせない彼には、当然、彼女の行いを拒む権利がある。今後も奇怪な現象を彼女の都合で体験させられるとしたら、多少の見返りを求めてもいいのではないか。
老作家はそう結論づけたのだ。
このとき、彼が経営する建築設備会社は倒産の危機に瀕していた。ノンフィクション作家としての仕事を最優先し、経営を放置していたからだ。しかしもはや彼はすべてのテーマを書き尽くし、かといって出版社に言われるままの作品を執筆するつもりはなく、家族の生活を守るため、会社を建て直す必要に迫られていた。
いや、真剣に取り組んでいたとしても、経営が順調だったとは思えない。デビュー作から一貫して役人と役所批判をテーマにしてきた。だが、彼の会社はその役所が発注する工事の入札に参加して受注する仕事がほとんどなのだ。
正義感からくる彼の批判に共感し、味方になってくれる心ある役人は少ない。役所で出世する味方はもっと少なかった。
後悔してはいない。仕事に関しては。ただ、家族の生活は別だ。
さしあたって、早急の運転資金がいる。四半世紀の経営者経験から、真中はことさら困難で図々しい条件を彼女に提示した。
「あなたの奇跡を証明するために、どうかわたしの願いをかなえて頂きたい。それが実現したら、わたしは約束通り、あなたが求めることを果たしましょう。万が一、その契約が守られていないとお感じになったときは即、わたしの命を断ってください」
不届きな取引の担保として自分の命を差し出した。
「仕かけたのは聖母マリア、あなたであって、わたしではありませんぞ。さあ、どうされますか」
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