月夜にイエスが現れた
真中には毎晩、寝る前に外に出て、夜空を眺める習慣がある。若いころから続けている習慣で、たとえ原稿書きに没頭し、深夜三時を回っても、零時前にベッドに入るときでも、必ず外に出るのだ。
すぐ先の雑木林には、高さ二十メートルほどの楠の木が立っている。あの奇跡が起きるしばらく前から、先端の枝葉が奇妙な形を見せていることに、彼は気づいていた。
ある夜、人影が己の片手を前方に差し伸ばし始めた。敬虔な信者たちに向かい、恵みをと、宗教画で見る聖母マリアがよくやる慈愛に溢れたポーズに見えた。マリアが、今度はなんの奇跡を起こしてくれるのかと興味津々で眺めていた。
しばらくすると、その人物はもう一方の手を伸ばし始め、ついには両手を前へと差し伸ばした。まるで誰かになにかを訴えるように。
その頃からだ。人影がマリアだけではなく、男性のものもあるのではないかと真中が感じるようになったのは。体つきが彼女とは違う。その人物が木の先端にある枝葉が作り出す影であることは認識しているつもりだった。それでも、いつしか彼はマリアが演出する不思議な世界へと導かれていた。
昼間なら、なんの変哲もない大木のてっぺんに茂る枝葉にしか見えない。それが深夜になり、薄明かりの空に浮かび、風に揺らいで動く。その様子は彼女がそこに立ち、なにかを訴えているかのようにしか見えなかった。
長いローブをまとって裾まで垂らし、両手を広げて前方に差し伸べるポーズは、まさしく横浜の外人墓地で見た白亜のマリア像そのものだった。
その姿がさらなる変化を遂げた。
女性らしい柔らかさが消え、息子のイエスが現れたのである。逞しい体型の、十字架上の彼を思わせる長身で痩身の男の姿だった。髪は長く、こけた頬に髭が生えているように見える。彼は小舟の舳先にすっくと立ち、両手を前方に差し伸ばしていた。
なぜ、イエスが小舟に乗っているのかが解せなかった。天空から舞い降りるイエス・キリストには、やはり雲がふさわしいだろうにと、真中は不思議でならなかった。
問題の木は彼の見る位置から西南の方角にある。その先端にいるイエスは両手を前方へ差し伸べ、視線は南東方向の少し下の地上に向けられている。なにかを見つめていた。
そして彼の姿から切なげな哀しみが漂い出し、すがるような想いがはっきりと、真中には感じられた。明らかに彼は誰かを求め、なにかを訴えていた。
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