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徳を礎とした熱意なき人は描ける餅の如し
松下幸之助 一日一話
10月 2日 強く人を求める
事をなすに当たって、人を得るかどうかはきわめて大事なことである。それによって事の成否は決まると言ってもよい。
それではどうしたら“人”が得られるのだろうか。これは大きく言えば、運とか縁によると考えられるだろうが、やはり強く人を求める心があってこそ、人材も集まってくるのだと思う。ただなんとなくすぐれた人材が集まってくるということはまずあり得ないだろう。すべてのものは要求のあるところに生まれてくるものである。
人材の不足を嘆く前に、まずみずからどれほど強く人を求めているかを自問自答してみる必要もあるのではなかろうか。
https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より
強く人を求めるということは、磁石が鉄を引きつけるようなものであり、その鉄を引きつける磁力は決して目に見えるものではありませんが、磁石の力が強ければ強いほど、多くの鉄を引き寄せることが可能になります。
では、磁力とは何かを考えますと、磁石自らが持つ強い熱意や情熱のことであると言えるのではないでしょうか。熱意なき人は描ける餅の如しです。
二宮尊徳翁は次のような言葉を残されています。
「君子は君子を友とす。故に益々善に進む。 小人は小人を友とす。故に益々悪に陥る。」(二宮尊徳)
つまりは、熱意や情熱のあふれる人は、同様に熱意や情熱のあふれる人を友にするということです。強い磁力であってこそ強い鉄を引き寄せることが可能です。弱い磁力では、鉄か鉄ではないかの判断ができる程度でしかなく、薄っぺらい鉄しか引き寄せることはできません。
更に、柳生宗矩(むねのり)は次のような言葉を残しています。
「小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす」(柳生宗矩)
即ち、縁というものを活かすためには、そこに強い磁力があるか否かが決め手となるのだとも言えます。
この柳生宗矩の言葉を仏教的観点からは
「縁尋機妙、多逢聖因」
と言います。「縁尋機妙、多逢聖因」に関して、安岡正篤先生は次のように述べています。
良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様は誠に妙(たえ)なるものがある ー これを縁尋機妙(えんじんきみょう)という。また、いい人に交わっていると良い結果に恵まれる ー これを多逢聖因(たほうしょういん)という。人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない。
(安岡正篤一日一言より)
最後に、論語には次のようにあります。
「徳は孤(こ)ならず必ず隣あり。」(論語)
徳の高い人は孤独になることはない。必ず、同じように徳の高い人が周りに集まってくるものだ、という意味です。
知識や才能も、熱意や情熱がなければ無に等しく、熱意や情熱は徳を礎としたものであったならば、同様に徳高き人たちを引き寄せることが可能になるのだと私は考えます。
中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp
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