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物心両面の幸福へつながるANDの才能(Dynamic duality)

松下幸之助 一日一話
10月11日 物心にバランスある姿

今日のわが国では、科学の進歩、経済的な発展にくらべて、国民の道義道徳心なり良識というものに、非常に脆弱な面があるのではないか、という声がある。たしかに今日では、何が正しいか、いかにあるべきかという点があいまいになってきているように思われる。

やはり、人間らしい生活を営むには、単に科学が進歩し、物質的に豊かになるばかりでなく、人としての良識というか、精神面の豊かさというものが並行して養われる必要があると思う。つまり、身も豊か、心も豊かというバランスのとれた豊かさのもとに、はじめて平和で、人間らしい幸せな生活をおくることができるのではないだろうか。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

松下翁の創業したパナソニック(旧松下電器産業株式会社)と同様に、創業時は小さな町工場だった京セラ(旧京都セラミック株式会社)を、今では世界的な大企業にまで育て上げただけではなく、KDDIの礎となるDDI(第二電電)をつくり、誰もが不可能だと思ったJAL再生を成し遂げた稲盛和夫さんは、京セラの経営理念として、以下の言葉を掲げていらっしゃいます。

「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、
人類、社会の進歩発展に貢献すること。」
(京セラ経営理念)

(参考: https://www.kyocera.co.jp/company/philosophy/index.html )

また、著書である「生き方」(2004)のまえがきにて次のように述べておられます。

…世間には高い能力をもちながら、心が伴わないために道を誤る人が少なくありません。私が身を置く経営の世界にあっても、自分さえ儲かればいいという自己中心の考えから、不祥事を起こす人がいます。
いずれも経営の才に富んだ人たちの行為で、なぜと首をひねりたくもなりますが、古来「才子、才に倒れる」といわれるとおり、才覚にあふれた人はついそれを過信して、あらぬ方向へと進みがちなものです。…
才覚が人並みはずれたものであればあるほど、それを正しい方向に導く羅針盤が必要となります。その指針となるものが、理念や思想であり、また哲学なのです

そういった哲学が不足し、人格が未熟であれば、いくら才に恵まれていても「才あって徳なし」、せっかくの高い能力を正しい方向に活かしていくことができず、道を誤ってしまいます。これは企業リーダーに限ったことでなく、私たちの人生にも共通していえることです。…
哲学という根っこをしっかりと張らなければ、人格という木の幹を太く、まっすぐに成長させることはできないのです

どのような哲学が必要なのかといえば、それは「人間として正しいかどうか」ということ。親から子へと語り継がれてきたようなシンプルでプリミティブな教え、人類が古来培ってきた倫理、道徳ということになるでしょう。…
…嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えてはならないなど、だれもが子どものころ、親や先生から教わった ―― そして大人になるにつれて忘れてしまう ―― 単純な規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準としたのです。…
…それは、とてもシンプルな基準でしたが、それゆえ筋の通った原理であり、それに沿って経営をしていくことで迷いなく正しい道を歩むことができ、事業を成功へと導くことができたのです。

私の成功に理由を求めるとすれば、たったそれだけのことなのかもしれません。つまり私には才能は不足していたかもしれないが、人間として正しいことを追求するという、単純な、しかし力強い指針があったということです。
人間として間違っていないか、根本の倫理や道徳に反していないか ―― 私はこのことを生きるうえでもっとも大切なことだと肝に銘じ、人生を通じて必死に守ろうと努めてきたのです。

いまの日本で、人間のあり方を示す倫理や道徳などというと、いかにも時代遅れのさびついた考えだという印象を抱く人が多いかもしれません。戦後の日本は、戦前に道徳が思想教育として誤って使われたという反省と反動から、これらをほぼタブー視してきました。でも本来それは、人類が育んだ知恵の結晶であり、日常を律するたしかな基軸なのです

近代の日本人は、かつて生活の中から編み出された数々の叡智を古くさいという理由で排除し、便利さを追うあまり、なくてはならぬ多くのものを失ってきましたが、倫理や道徳といったことも、その一つなのでしょう。

しかしいまこそ、人間としての根本の原理原則に立ち返り、それに沿って日々をたしかに生きることが求められているのではないでしょうか。そうした大切な知恵を取り戻すときがきているように思います。

昨今においては、戦後日本において道徳や哲学という親世代が受けた教育を否定された幼少期の教育を受けてきた世代、つまりは現シニア世代における精神面の乏しさ、脆さというものを目にすることが多くなりました。このシニア世代たちは、稲盛さんの言葉をお借りするならば、嘘はつかない、間違ったら謝る、素直な心でいるという子供の頃に母親から教わるようなプリミティブな原理原則が身についていない世代とも言えます。

プリミティブな原理原則がないことで、思考や行動に対してのある種の制約から解き放たれ、自由さを生み、高度成長期に繋がる経済的発展の原動力になった側面があることは否めません。

しかし、一時期の物質的な豊かさに目を向け過ぎた世代が、それと引き換えに失ってしまったものの大きさは図りしれず、現状のシニア世代を見る限りでは精神面の豊かさを持たない人ほど、手にしたはずの物質的な豊かさすら手元からいつの間にかこぼれ落ちてしまっているというのは、私の目で見る限りで確かな事実であると言えるではないでしょうか。

具体的には、嘘をつく、間違っても謝らない、心がひねくれている。知識ばかり溜め込んでしまったために頭でっかちとなり、それが加齢と共に固さを増し、自分に都合の悪いことは事実であっても事実として受け入れず、逆に自分に都合が良いことは事実でなくとも事実として受け入れてしまう。残念ながら、そんなカッコ悪いシニア世代を目にすることが多くなりました。

これからの時代を生きる私たちは、カッコ悪いシニア世代を反面教師とし、物質的な豊かさを選択するのか、精神的な豊かさを選択するのかという、二項対立(Dualism)となるORの抑圧に負けず、物心両面の幸福を追求すると同時に、人類や社会の進歩発展に貢献することを具現化するという二項動態(Dynamic duality)となるANDの才能を発揮する必要があります。

これは、日本における資本主義経済の父と称される渋沢栄一翁が著書「論語と算盤」(1916)にて述べている「士魂商才」という概念と同一であるとも言えます。

最後に、これからの時代を友に生きる皆さんへ司馬遼太郎さんが未来の子どもたちへ残した遺書ともいえる著書「21世紀に生きる君たちへ」(1993)から以下の言葉を引用したいと思います。

…君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
 ――自分に厳しく、相手にはやさしく―― という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。…

21世紀にあっては、化学や技術がもっと発達するだろう。科学・技術がこう水のように人間をのみ込んでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学や技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。…

自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。…

君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。私は、君たちの心の中の最も美しいもの見続けながら、以上のことを書いた。

書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。



中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp


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