さいたま市小4死体遺棄事件にみる義父の劣等感
9月18日未明、さいたま市見沼区の教職員用集合住宅で痛ましい事件が発生しました。
#NIKKEI
(以下一部転載)
さいたま市の集合住宅で小学4年、進藤遼佑君(9)の遺体が見つかった殺人事件で、埼玉県警が一家の居室から複数のひもやコードを押収していたことが20日、捜査関係者への取材で分かった。死体遺棄容疑で逮捕された義父の無職、進藤悠介容疑者(32)は殺害についても認める供述をしており、県警は凶器が含まれているとみて鑑定を急ぐ。…
…進藤容疑者は「帽子をなくしたことを注意したら『本当の親じゃないのに』と反発され、腹が立って殺してしまった」「妻に見つからないよう遺体を隠した」という趣旨の供述をしている。…
事件発生直後の各社メディアによる報道から知り得る状況証拠から見て、私は父親が怪しいと判断していました。これは私に限ったことではなく、視聴者の多くの方も同様であり、更にメディアは私たち以上にそれが分かっていたと思われますが、憶測での報道は控えていた印象がします。
この事件を受けての私の率直な感想としては、容疑者である義理の父親に対して次の3つの言葉が頭を過りました。
「ああせよと口で言うより、こうせよとして見せるこそ教えなり」
(永平寺第78世貫首宮崎奕保禅師)
「人の為と書いていつわり「偽」と読むんだねえ」
(相田みつを)
「未熟な親は自分の劣等感を子どもにぶつけてうさ晴らしをする」
(斎藤一人さん)
子供がいない私がいうのもなんですが、人の為と書いて偽りと読むように、子供の為は、自分の為の偽りでしかなく、世間から子供に問題があると思われると、その親まで問題があると思われてしまうため、自分には問題はないと思われたい親ほど、子供の為という偽りを多く使用します。子供の為ではなく、子供の立場で考える必要があり、子供の立場で考えたならば、発言や行動は大きく異なってくるはずです。
加えて、劣等感の強い人間ほど、自分より弱い立場の人間(今回のケースですと子供)にある問題の粗探した上で、その問題を指摘することで自分の持つ劣等感の憂さ晴らしをしようとします。簡単には、減点主義で子供の減点するところを常に探しているような感じです。自分よりも、下に下にある人間を作ろとします。
他方で、有能感の強い人間ほど、加点主義の人が多く、他人の良いところを見つけては加点していく傾向が強くあります。
仮に、子供の立場になって考えるならば、自分が「帽子をなくした」とします。そのことに対して、仕事をしているのかすら分からずに母親が不平不満ばかり口にしているカッコ悪い父親から注意をされるのと、仕事をバリバリこなし母親すら尊敬しているようなかっこいい父親から注意されるのでは、子供としての対応も変わってくることでしょう。仮に、前者だった場合に子供が『本当の親じゃないのに』と反発しても不思議なことではありません。『本当の親じゃないのに』とは、換言しますと『お前みたいなヤツに言われたくないよ』ということです。
更には、『本当の親じゃないのに』という子供からの言葉は、『こいつは本当の親なのか?』と親を試している言葉とも読み取れます。
子供たちから『お前に言われるなら仕方がないな。俺が直すよ』と思われるように「ああせよと口で言うより、こうせよとして見せる」ことが、言うは易く行うは難しですが先決ではないかと私は考えます。
中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp
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