企業が販売する製品の「価格」とは、その製品に内在する「総価値」と換言できます。この「総価値」についてハーバード・ビジネススクール教授マイケル・ポーターは、著書「競争優位の戦略」(1995)にて「総価値-総コスト=マージン」とした上で、バリューチェーンモデルにて、総コストは大別して「支援活動」と「主活動」の2つによって構成されているとしています。具体的には、「支援活動」とは、全般活動、人事・労務・管理、技術開発、調達活動で構成され、「主活動」とは、購買物流、製造、出荷物流、販売マーケティング、サービスによって構成されています。
仮に、販売する製品の価格を3割下げるということは、「総価値」を3割下げることを意味しています。このケースにおいて、総コストを減らさないのであればマージンを少なくして大量に売るのか、或いは、マージンを減らさないのであれば総コストを削減する努力が必要になります。どれほどのマージンを取った時に、どれだけの量が売れるのか、またどれだけの利益が出るのかということを予測するのは非常に難しいことであり、その選択肢は無限にあると言えます。
自社の製品の「総価値」を正確に認識した上で、量とマージンとの積が極大値になる一点を求めることが必要になります。加えて、その一点はまた、お客様にとっても自社にとっても、共にハッピーである「総価値」でなければなりません。この一点を求める値決めは熟慮を重ねて行われなければならないため、稲盛和夫さんはご自身の多くの著書を通して「値決めは経営である」と仰っています。
製品の価格というものを浅薄に考えた場合、市場において製品価格が安ければ安いほど消費者から受け入れられることになると考えがちですが、実際のところは必ずしもコストリーダーシップ戦略を取る企業の製品が生き残るということではありません。具体例としては、終戦後に日本でコカ・コーラが発売された当初、コーラの価格はラムネやサイダーの倍以上の価格でした。ところがご承知のとおり、ラムネやらサイダーなどはいつの間にか蹴散らかされ、コーラが炭酸飲料市場を席巻することになりました。なぜコーラが市場を席巻することになったのかという背景には、当時の販売店が、コーラを売るのにマージンを沢山貰っていたことに加え、店の前に「コカ・コーラ」と書いた看板を無償で立てて貰ったりしていたことが大きな要因であると言えます。つまり、サイダーやラムネよりコカ・コーラをなるべく売るようにと、インセンティブを貰っていたということです。コーラの価格には、総コストの中にある販売マーケティング費用やサービス費用が事前に含まれていたため、総価値が高くなり販売価格も高くなっていたということです。コカ・コーラは競合他社よりも経営戦略における視点が数段上手だったため価格競争をせずに市場を席巻することが可能になったと言えます。
コカ・コーラの実例は、プロダクトアウトによる値決めであり消費者の負担が増えてしまうことになりますので、高度成長期であった市場においては成功したケースであると言えますが、経済が長期的に低迷する現在の市場においては、かつての成功が嘘のように通用しない状況にあります。つまりは、お客様にとってコカ・コーラの総価値がハッピーなものではなくなっているということでもあります。
お客様にとって総価値をハッピーなものにするためには、マーケットインによる値決めが必要であり総コストを削減しマージンを維持したまた総価値を下げるというアプローチも選択肢の1つであると言えます。これを換言するならば、「値引きではなく値下げ」ということになります。総コストを維持したままマージンを減らすのではなく、マージンを維持したまま総コストを減らすということです。
例えば、バリューチェーンモデルにおける主活動を一元化することにより、リードタイムを短縮し総コストを削減することも一つの選択肢であると言えます。具体的には、ファストファッションのZARAを展開するスペインのインディテックスやユニクロを展開するファーストリテイリングなどが成功例であると言えます。
他方で、バリューチェーンモデルにおける技術開発や調達活動を含めた支援活動における「経費を極小にする」ということも一つの選択肢であると言えます。このことについて、稲盛和夫さんは著書にて以下のように述べています。
更に、松下翁は「値切って信頼されてこそ本当の仕入れ」として以下のように述べています。
稲盛さんのお話は、消費者ニーズがパラダイムシフトした現状においてマーケットインによる「売価還元方式で原価を求める」とはどういうことなのかという問いに対する解であり、松下翁のお話は、マイケル・ポーターが「競争の戦略」(1980)において述べている競争に影響を与えることになる「5つの力(FORCE)」の一つである「供給業者の交渉力」は何によって決定されているかという問いに対する解であると言えます。これらは、実際に不可能を可能にしてきた臨床家たちからの結果を伴った貴重な解であると私は考えます。