松下翁の仰る「要求者」に似た言葉で「指揮者」や「命令者」という言葉がありますが、この両者の違いというものはどこにあるのでしょうか。一般的な経営者にみる姿としては、後者の「指揮者」や「命令者」が近いと言えるのではないでしょうか。つまりは、全体の行動の統一のため、「命令して人々を動かす人、または、指図する人」、或いは、「下位の者にあることをするように命じる上位の者」ということです。
他方で、「要求者」とは「相手に対して、理想や希望というあるべき姿に近付くような行為を強く求める人」のことであると言えます。では、松下翁は実際に社員たちに対して、どのような強い理想や希望を打ち立てていたのでしょうか。その一つとして、松下翁は以下のように述べています。
「衆知を生かした経営をしていく」という「目標」を達成するためには、社員たちの「現状の姿」を「あるべき姿」へと変革していく必要があります。松下翁はこの「目標」と「あるべき姿」に関して以下のように述べています。
社員たちの「現状の姿」を、松下翁の考える素直な心を根底とした「あるべき姿」へと近づけるためには、「変革のシナリオ」が必要になります。松下翁は、この「変革のシナリオ」に必要となる要素について以下のようなお話をされています。
つまりは、「変革のシナリオ」を構成する要素は経営者の「熱意」と「使命感」であり、それを基に繰り返し要求し続けるということが変革に繋がると言えるのでしょう。
翻って、これらの要求をされる側の社員たちの立場で考えるならば、「指揮者」や「命令者」である経営者の下では、内発的動機づけに不可欠とされる主体性を持った行動をすることが出来ません。つまりは、経営者の言いなりに動くだけの社員となってしまい、衆知経営に必要となる自主自立した社員にはなりません。
更に、目標である共有すべき明確な方針、または理念やビジョンを指し示すことができない経営者の下では、その発言や行動に一貫性が伴わない訳ですから社員に対して「何々をやってはいけない」「あれはするな、これはするな」などど、その場その場でコロコロ変わるような経営者の都合による禁止事項などが並べられ、混沌としたゴールのない矛盾で満たされた狭い枠の中に社員たちが押し込まれてしまうことになります。そのような状態で会社が繁栄するはずもなく、それは衰退を意味しているのだと言えます。
加えて、素直な心のない経営者が、社員たちに素直な心であることを求めることは不可能です。素直な心を根幹とした、強い熱意と使命感を持った要求者でありたいものであると私は考えます。