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新人看護師の特権
もう10数年以上前の話。
急性期のがん病棟で、新人看護師として3け月が過ぎようとしたころだった。2ヶ月目からの夜勤業務も独り立ちして、まだ業務を回すことに精一杯だった。朝5時過ぎからの採血と、定時の輸液交換と食前の血糖測定が終わり、ようやく朝食の配膳となって、ほっとしながら、精一杯の笑顔をふりまき、相部屋の配膳をしていた。
すると、後ろから ガッ!!と肩をつかまれた。
驚いて振り向くと、その日、退院予定の患者さんだった。末期ガンでもう治療はここでは困難という人だった。
その人は言った。
「ねえ!私に死ねっていうの!!??どうして診てもらえないの!?私はこれからどうしたらいいの!?なんで私は退院しないといけないの!!!」
え?意味がわからず、とりあえずその人をベッドに戻し、話を聞くと主治医と研修医のムンテラがその人には納得いかぬまま、退院が決まったようだった。カルテにはそういう記載がなかったけれど、この人は納得していなかったんだ、、と思った。
だが、じっくりと話を聞く時間はなかった。朝の一番忙しい時間帯で、私という新人看護師と先輩看護師の2人だけで50名の患者をみている。まだ配膳も終わっていないのだ。そして、泣いている患者さんの背中をなでてはいても、どれだけの時間を取る必要があるのか、今の状況の中で話を聞くべきなのか、相方の先輩に業務を任せて話を聞いたらいいのか、そのスキルが自分にあるのか、それらを考えるととても自分では難しい、、と判断した。
まだ、話をしっかり聞く必要があるとはわかっていたが、その時間もキャパも私にはなかった。私は、その患者さんに夜勤業務が終わったら必ず話を聞きに来ますから、少し待ってください、と約束して業務に戻った。その人も、うなづいていた。
夜勤後の申し送りにもカルテにも記載はして、フォローを依頼すると同時に、自分がいかねばと思った。だが、あいにくその日は、運が悪く、いつも頼れる師長が不在だった。代行者は、私が話を聞きに行かなくてよいと、指示を出した。まだ新人の私がそれを覆すことはできなかった。
あれからどうなったのか、ずっと気になっている。ときどき、今も、患者さんが泣きながら私に訴えた顔が浮かぶことがある。自分は今ならどうするだろう、と思う。
この話題は、ずっと心にしまっていたのだが、医療人類学のゼミに出た時に、「どうして新人看護師ほど患者は打ち明け話をするのか」が話題になった。私がこの話をすると教授は言った。「そりゃ、新人看護師には隙があるからでしょ」
そうなのだ。新人看護師には隙がありまくる。すぐに失敗するし、頼りにならない。むしろ、患者がかばったり、フォローしてあげたくなることも多いだろう。だが、熱意は看護や業務に慣れてしまう3年目だとか中堅よりはずっとある。フレッシュだけれど、視野も狭い。だがその隙と一生懸命さが患者に打ち明け話をさせる作用がある。だから、あの人は私に心情を吐露したのかもしれないし、私が能天気に朝の挨拶をして朝食の配膳をしていたから、気持ちが溢れたのかもしれない。
だが私にはずっと悔いが残っている。あの患者の生存率は私にもわかっていた。あの時どうしたらよかったのか、今でも時々頭をかすめる。そして、今でも打ち明け話をしようと患者が思う隙が自分にはあるのかどうかも。
新人時代は貴重だ。経験を重ねれば医療知識も看護知識も増える。だけれど、それで失うことだって多い。特に、新人時代の心の震えや感動はもう戻らないことが多い。どれだけ失敗しようが、どれだけうまくできなかろうが、そんなことはどうでもいいのだ、患者の死に直結しない限りは。だけど、新人の時にしか味わえないこと、感性を大事にしてほしい。それが自分の看護の一生涯の基盤になる。今でも、思い出すぐらいに。