学校が難しくなっている
「発達障害児を育てるということ」という発達障害のお子さん(現在中3)の生育エッセイを読みました。父親が心理学の大学の先生、母親が大学の心理カウンセラーで男三人兄弟の三男が発達障害(IQ85のボーダー知的障害者で自閉症)で高校進学を控えて、ボーダー(境界知能指数)のため小中は特別支援級で、ある程度ケア(だいぶ不十分で親の個別対応へのトライアンドエラーがかなり大変)あったが、今後は健常者と同じ土俵で戦っていかなければならないことが不安である。というのが大まかな内容です。
その中には色々な課題、示唆が含まれているのですが、境界知能については「ケーキの切れない不良少年たち」に関連して改めて触れたいと思います。
この本の最大の問題提起は、何らかの社会的ケアは絶対に必要なのに現時点では高校以降は、ボーダーの障害者は支援のスキマにあり、現実として健常者と同じ土俵で戦わなくてはならない。いう点にあるのですが、自分自身が通学していたのが数十年前(同年代や年長の方は学校は楽しかったという方が多い🟰私自身もそれに近い)、子どもたちももう卒業済みという世代の人間にとってインパクトを感じたのは、学校は勉強やスポーツを学ぶと共に、友だちと競ったり、遊んだりして個性を伸ばしていくような場ではなく、場の雰囲気を乱さないような人間を育てる場と化し、先生もそれを優先した管理をしているということです。
それだと面白くなかったり、はみ出してしまう子は必然的に増えるし、それが不登校にも結びつくのは避けられない気がします。
以前いた会社の若手社員も協調性の高い、礼儀正しいメンバーばかりでしたし(人事部署も協調性の高い人材を採りたいと主張)、会議の運営方法も文中にあるアクティブラーニングの方式で討議をメインにしているが、パターン化して本当の意味でそれぞれが頭を使わないリスクを感じていましたが、これは学校で刷り込まれた影響が大ですね。
一見コミュニケーション能力が高くていいのではという見方もあるでしょうが、一方でコミュニケーションが表面的で泥臭いことが苦手なため、人を動かすような深い関係性が作れない。失敗や叱責を過度に恐れるために率直な報連相が出来ず、限界を簡単に超えてしまうという弊害も多々発生してしまっています。
話は大きくなってしまいましたが、日本社会の競争力低下に悪い意味で結びついていると思われます。
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