いざ青梅へ!
「糸口」 10/3 20:00~神保町PARA
#くにたち富士見台ものがたり の説明会で初めてお会いした木村玲奈さんのソロ公演『糸口』に行ってきました。
踊りを観ている中で、9月のクリエーションの始まりのとき、ファシリテーターの大園さんは演劇的な手法?視点?でダンスの創作に携わってきたとおっしゃり、一方で木村さんは、身体のかたちや像に着目?して創作をしてきたというようなことを聴いたことを思い出した。
実際に青梅に「糸口」という場をつくり、そこが木村さんの拠点であると同時に作品でもあるという。基本的に一人で「糸口」でダンスの創作やワークショップをされているそう。
深く呼吸をしたり床を踏みしめたり、「内の声を聴いて 空間を感じたり」、「今の身体を感じながら少しずつ骨のスキマを意識→身体の表面(皮)を意識→皮の内側を意識」したり、ネットで見つけた銅像などのポーズをしたり。
日常の「糸口」での作業を、公演・パフォーミングアーツとしての『糸口』に昇華していたように見えた。
会社に勤務していたりすると、当然ながらオンラインでもオフラインでも常に言語でのコミュニケーションが主となると思う。社会の中で自分の意識は常に外に向かっている。
私も昨年までは常に自分の意識を外に向けるようにしていた。中高生時代は暇が多かったから、お勉強ではなく暇つぶしに新聞読んだりしていたりして、大学もメディア系に意図せずだが進んだことがあげられるかもしれない。外で何が起こっているか、にいつも注目していたように思う。
社会人の最初の4年間は仕事探しをよくしていて、その関係で自分は何に興味があるのか探りたいこともあり、ニュースに触れる頻度は学生時代よりも減り、新書や昔の文豪が書いたエッセイなどを読んでいた。これもたまたまアート系の本屋さんで働いたこともあり、自分はアートがしたいなと思い始めた。
同時に東京に飽きてもいた。
23区で生まれ、多摩・武蔵野で学生時代を過ごし、就活で23区割と回ったし。23区に住んで働いたこともあった。もう、東京で辛酸舐めまくった。いい思い出があまりなかった。
河合隼雄,大江健三郎,谷川俊太郎著『日本語と日本人の心』で読んだ日本の文化は地方にで感じられるというような文章に影響されたこともあり、地方に住んでみたくなった。
だから地方に転勤した。
地方でも、思うようなキャリアが築けなかったが(理想なんてなかったかもしれない。だって誘われるがままにほいほいいろんなところに顔出してて自分の芯が無かったから。ここでも私の意識は地方社会という外に向けられていた。) 自分はアート、中でもパフォーミングアーツ、ダンスがしたいということが分かった。
もうひとつ、地方で同時に18-29歳の女性が原則投稿するエッセイサイト「かがみよかがみ」の投稿をしてみた。学生時代からこのサイトの存在は知っていたが、当時はうまく書ききれなかった。だが数年後、20代女の単身者が地方にほとんど、いない現状、テレビなどのメディアの若い女性に代表されるステレオタイプで観られるのが堪らなかったから書き始めた。
最初に書いたテーマは「わたしと東京」だった。最初に書くことはその人にとって大きなテーマってどこかで聞いたことがある!東京は私にとって複雑で考察すべき対象なのかもしれない。
文化事業やダンスに関わると決めて東京に戻ってきた。東京の地表下に潜りこみ、自問をしよう。「かがみよかがみ」の投稿も継続して始めた。決めてからのこの半年間は、以前より外のニュースに注目を集めすぎることは少なくなった。踊ることとエッセイサイトに書くこと、こうして感想を書くことを通じて自分を内へ内へとのぞき込む活動を本格的に行い始めた最中。
そんななか、とつとつダンスやくにたち富士見台ものがたりが私のもとにやってきた。そして木村さんにお会いし、今日、内へ内へ入ることはどういうことなのか、ダンスで観た。
今度は日常「糸口」に関係してみたいです。
実は、青梅は人生で一度も行ったことが無いのです。
学生時代、多摩地域形成論という授業があり、「武蔵野」、「青梅」そしてなぜか「ポートランド」(オレゴン州ポートランド)のまちについての考察みたいなのがありました。
武蔵野はよく知っているけど、青梅…東京だけど行ったことない!ポートランド??どこ?初耳なんだけど?という感じでした。
なのでまずは青梅で踊りたいです!!