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痛みをなげくのか?生かすのか?は自分で決められる
YouTube動画でも簡単に話しましたが、生き方につながる大切なことだと思うので内容を改めて書くことにしました。
「大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」とは心理学者アルフレッド・アドラーの言葉です。
医者もサジを投げるほどの大病から奇跡の回復をした方の中には、命を脅かしたその病気を「神様からの贈り物」だったと表現する方も多いそうです。
痛みもまた「与えられたもの」と考えることは出来ないでしょうか。
同じ痛い体験であれば、より自分の役に立つ形にして受け入れたいのです。
その姿勢が自分自身の人生を信頼することにつながると思うのです。
自分の現状を嘆くというのは人生の一部を拒否することになりませんか?
嘆きたくなる気持ちはもっともなことです。
ただ、気持ちの切り替えは必要です。
なぜなら嘆きが大きくなるとあきらめ感や絶望感に変わっていくからです。
自分の人生のかじ取りは自分にしか出来ません。
自分でかじ取りをしないと自身を取り巻く他者や環境・状況という潮の流れに人生が揺さぶられ流されるのを任せることになってしまいます。
何を目指すのか。
どう在りたいのか。
望む望まざるにかかわらず責任は自分で取るようになっています。
「自分に生かすために痛みをどう捉えればいいだろう?」
たとえば、生活習慣の中に痛みにつながることはないか振り返る機会にすることが出来ます。
食生活や運動習慣、日々の気分はどうですか?
夜更かしや情報過多が当たり前になっていませんか?
改善できそうなことって案外多いものです。
それに、たとえ実践の結果として痛みの軽減につながらなかったとしても、改善に取り組もうとした勇気は素晴らしいではないですか。
アドラーの言葉通り、要はどう使うか?ということなのだと思います。
禍を転じて福と為す(わざわいをてんじてふくとなす)ということわざもあるように、ぜひ一度「痛みを生かせないだろうか?」と考えてみてはいかがでしょうか。
そのほうが嘆くよりもきっと豊かな生き方につながるはずです。