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関節の変形 ~変形が目指すもの~
誰もが知っていて、日常的に体験している事なのに忘れがちなこと。
体というのは目的に応じてかなり変化するという事実。
重いものを持つ機会が多いのであれば、求められる筋力に応じて筋肉は太くなり筋力も増していきます。
筋力トレーニングはこの応用ですね。
速く走ろうと練習を重ねることで、求められる速さに応じて速く走れるようになっていきます。
運動をすると、求められる強度に応じて動きを支える骨が強くなっていきます。
使い方によって体の能力や状態は変化します。
さて、関節の変形です。
知るかぎり関節の変形というのは、『関節の面積が広がっていく』ように変形をします。
なぜ関節面を広げるのか?
どのような要素が求められた故にこのような変化をするのか?
関節とは骨と骨が面した部分です。
骨を動かすのは筋肉でしたね。
筋肉の状態は、動作のクセや運動の有無、感情などによって変化していくのでした。
という事は、筋肉の状態や使い方によって、その関節運動の軸が動くことはあり得ると考えました。
前側の筋肉よりも後ろ側の筋肉がいつも強くはたらいているとしたら。
関節の外側に重みがかかるような使い方が習慣的なのだとしたら。
疲れやすくて姿勢が安定しないのだとしたら。
このように考えた場合、関節の変形というのは運動軸の振れ幅に適合するために関節面を広げていることになります。
この考えはそれほど突拍子もない事だとは思えません。
なぜなら、臨床現場でみる変形性関節症の方たちの筋肉の状態にはそれぞれに偏りがみられるのです。
衣服の生地のヨレや靴底のすり減り方にも現れています。
動作のクセが強いということですね。
運動量や強度に応じて筋肉や骨が変化することは誰も違和感を持たずに受け入れています。
関節部の動きに応じて関節面が変化することは同様ではないのでしょうか。
また、変形性関節症の方に多くみられる関節の可動域(動かせる範囲)が小さくなることについても同じように考えてみました。
四十肩やぎっくり腰など疼痛メインの関節の可動域制限は理由が変わりますので除きます。
関節の可動域が小さくなるというのは、どのような要素が求められた体の変化だろうか?
そうするとこのような解釈になりました。
その方の筋力やバランス感覚、反応速度などに応じて、それらに適した安全な関節の可動域に変化していく。
体は使い方に応じた変化をする。
バランスがとりにくいのであれば運動性よりも安定性が高い方が安全ですね。
反応速度が遅く、筋力が低いのであれば、可動域は小さい方が安全です。
”安全”は生命が本質的に求める要素だと思います。
おそらく体の能力や状態に見合わない変化はしないのでしょう。
適合を目的に変化していると考えられるからです。
つまり、関節の変形とは、個人の体の使い方に応じた体の変化にすぎないのだと思います。
変形自体に良し悪しはなく、自然の摂理として、体の適応力のひとつとして、ただそのように変化しただけなのだと。
一方、現在の医学界をはじめ世間一般の考え方では、関節の変形は加齢によって起こり関節痛の原因になります。
関節の変形は好ましくないという立場ですね。
正しさが証明された事象ではありませんが常識となっている考え方です。
なぜこのような認識が受け入れられ広がっていったのでしょうか。
そこには、分かりやすいイメージによる都合のよさや変化に対する不安があるように思います。
われわれは無意識のうちに理想モデルのようなものをつくりだし、それと比較します。
一方に価値を置くがゆえに、もう一方の価値が下がります。
左右対称が良い、だから歪みは悪い。
若い頃は○○だった。(よくある理想モデル)
関節は変形していないのが正常だ、だから変形は異常だ。
痛みがないのが正常だ、だから痛みがあるのは異常だ。
これらもある条件を前提にした単なる仮説にすぎないことを知っておきたいのです。
良し悪しを決めているのはわれわれの価値観です。
ひとつの価値観はひとつの考え方であって、絶対的な正しさではなくあくまでも相対的なものの見方です。
ある価値観でもって断じる前に、われわれはもっと体(自然)のはたらきを信頼していいのではないでしょうか。
体が内外の環境変化に適応してきた実績は、人類として何百万年、生物として何十億年もあるのですから。