要支援な母 と 私
まず、私の自己紹介を。30代後半、夫と3人の子供に恵まれた。
電車で2時間ほどの場所に実家も義実家もあり、実家は母のみ。義実家は両親。
『要支援な母』とは私の母の事。
母は60代後半。軽度の認知症であると診断され、要支援1と認められた。
4年前から母の言動に違和感を覚えていた私からしたら、やっと、の診断。
今、まだ要支援1。これからが本当に大変なのかもしれない。
でも今までだって随分悩んできた。
解決できない悩みを受け止めてくれたのは、夫と、手書きのノート。
今までの事はノートに書き残してきた。
頭を整理するために。そして、どう症状が進んで行ったのか説明できれば明確な診断名がわかるのではないか、と考えたため。
母は祖母の介護をしていた。
私も数年間、祖母との生活を経験した。
だからこそ、母の違和感に早めに気がつけたのだと思う反面
祖母の介護がなければ母はこんなに早くに認知症にならなかったのではないか、とも思えてしまう。
介護をしていた母の大変さ、そして何もしてくれない自分の兄弟に対する恨みのような気持ちを私は何度も聞いた。
その祖母が長寿を全うし、自宅で亡くなった後から、母の症状は大きく進んだ。
・家からほど近い役所への行き方がわからない。
・役所へ到着した後も必要な書類の取り方がわからない。
・同じ内容の電話を短時間に何度もしてくる。
・近所の方が変な噂を流してくる、と言い警察に相談する。
・その噂のせいで同窓会で友達から避けられ、笑われた。その噂のせいで病院で邪険に扱われた。と言う。
・財布を無くす。
・いつも買い物しているネット通販のパスワードがわからなくなる。
など。
振り返ると祖母の死後数ヶ月間が、母の症状の一番ひどい時だった。
祖母の死から数年。今は随分と落ち着いてきたように思う。
それでも短期記憶はてんでダメなまま。
とはいえ、一時よりも母自身が記憶力の悪さに慣れてきたように感じる。
出来ないことを数え悲観していた母。
悲観的な母に引っ張られないよう距離を取りつつ、母のためにできることを探ってきた。
そんな数年間の振り返りと、今後のことを考えるために書き残していきたい。