「であい」「ゆとり」「うけいれ」

 異種動物でも仲良くなれる。ということはときおりあります。ある人は、同種だから仲間で異種は邪魔者、というネタニヤフやヒトラーやその他にもそう考える者もいます。
一般には、多くは、狩る側と狩られる側の(異種)動物がベッタリくっつき仲良しになること、は稀です。個別には、あるとおもいます。一般論や多数論だけで歩むひとは、機微がわからない、のかもしれません。

 「であい」や「ゆとり」、そして「うけいれる」だと、おもいます。
 “であい“は、善き人と出会えることです。
 ”ゆとり“は、生きる為にあくせく労働に囚われる状況から解放されていることです。こころの貧しさに覆われない、ことです。
 “うけいれる”は、執着せず拘らないこと。「まあ、イロイロあるよね」と、一元的価値観ではなく多様性をみとめ、アタッチメント(愛着と訳されてます)、「抱っこする。ママにしがみつく。触れ合う。味方だよと」だとおもいます。
功利・効率・利権主義になると、ユトリが見えなくなります。
それは貧しい哉。
 わたし(たち)は、「一見、正しく見えることに、騙され翻弄されています」。正しい“であい”がないのです。偽物の欺瞞ばかりです。悲しい。正しい人に、であってないのです。
 同種が集うのはよいのですが、同種で固まり多種を廃絶するのは、悲しいです。

 とにかく、「であい」「ゆとり」「うけいれ」が大切です。

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