meme[ミーム]という言葉ですが、私の勝手な理解ではgenome[ゲノム]はフィジカルな継承で、メンタルなもの・ことがミームなのかなぁ、とおもってます。情報処理の分野の言葉なのかも知れません、が、転用してます。私が、勝ってに。 宗教・思想・哲学・科学などは、性接では伝わりません。 また、コップの水は、小さな器では溢れてしまうので、大きめの器にしか注げません。 そして、器が汚れ過ぎていると、濁ります。 それから、ひび割れていると、漏れ落ちます。 ミームは人
こんなオッサン、いてる。 め……めんどくさい。 し……しんきくさい。 じゃ…じゃまくさい。 あっ、俺や!
各種能力が強い者は勝負を好む、支配したいがために。 すぐれすぎた者は勝敗を求めない、互いの幸のために。 わたしは、弱い負け犬です。 闘争しないのは負けるからです。 ただ、生き残りたいとも、支配したいとも、おもいませんが。 とにかく、すぐれた人ではありません。 逃げてばかりです。 わたしは、ゲーム系スポーツを好みません。 歩くのが精一杯です。 わたしにも他の生命にも、苦しみがないこと、が幸せです。
異種動物でも仲良くなれる。ということはときおりあります。ある人は、同種だから仲間で異種は邪魔者、というネタニヤフやヒトラーやその他にもそう考える者もいます。 一般には、多くは、狩る側と狩られる側の(異種)動物がベッタリくっつき仲良しになること、は稀です。個別には、あるとおもいます。一般論や多数論だけで歩むひとは、機微がわからない、のかもしれません。 「であい」や「ゆとり」、そして「うけいれる」だと、おもいます。 “であい“は、善き人と出会えることです。 ”ゆとり“は
産まれくる命を拒む権利、 は、あるのでしょうか? 必要ない命と排除する権、 は、あるのでしょうか? 逝りゆくひとを留める人、 は、いるのでしょうか?
爪はどのくらい伸びてから、 切るのが、よいのだろうか? ただ、ねっ!爪を切ったら、 気持ちいい。のですのよぉ。 猫が爪磨ぎしたい気持ちが、 なんか、それ、わかるかも。 能ないタカは爪を隠せない。
今日、庭の石の上に猫がいた。 そこは猫にとって心地よいのか、 其処に、よく猫が居る。 桜と楓そして躑躅(ツツジ)や楠がある。イブキや樒(シキミ)や芭蕉や椿もある、けど。わたしは、楓と楠が好き。曼珠沙華は臭い。ゼフィランサスは麗しい。タンポポやオオイヌフグリは可愛い。 鶯の声、今年はまた上手になりました、ね。 田圃のレンゲの色、好きです。 菜の花の畠は華やかです。 春が始まりました。 にぎやかになりそうです。
最近、イメージとか逃げ切り、が流行ってるような、気がする。
わたし、こないだ(数年前)から、 「誤謬」と「欺瞞」って、なんか辛いなぁー、とおもってました。 最近、それが「虚假」という表現なのかなぁ、とおもい至りました。 誤謬は、マチガイのことかなぁとおもいます。 欺瞞は、ウソなのかなぁ? 虚假、なのでしょうか? かもしれません。 生き物は何故生きているのか、何のために生きてるのか、知る由もありません。わたしが、そうなんです。 でもね、いろんないのちに出遭うのです。嬉しい。愉しい。ウキウキ。 支配は虚假です
真 ② ↑ ① 恰好悪←┼→恰好良 ③ ↓ ④ 偽 ④は恰好は良いが偽 ②は恰好は悪けど真
今日、ある、お宅を訪れたら、 縁側にネコが居ました。 わたしはドアホンを押したのです。(ところで、私はドアホやからドアホンはお似合いです。それは置いといて、) もちろん、訪問の用があったのです。でも、なかなか家主は出て来られません。もう一回ドアホンを押して待ちました。すると、昼寝をしていた、彼(彼女?)は「ニャー」と鳴きながら隙間から家の中に入り、そのお宅の主のところへ行って、また「ニヤー」と鳴きました。おそらく、(家主に)来客を知らせてくれたのでしょう。すると、主人
わたしは、(弘法大師)空海、(法然上人)源空、(一休禅師)宗純、さんが好きす。 組織や派閥とか秩序や型枠などは窮屈です。 ところで、、、。 デモス(民)の構築したシステムでは、いたりません。結構よいのです。が、それは幻の影です。なんでかなぁ? 民衆は大切なのですが、それを主義にするのは、なんか、どうでしょうか?ねえ?衆で愚かなこと、してしまいそうです。から。 なにかを、だれかを、主にして他を従にする、というのをヤメたらいいのかもしれません。神も、民も、だれも主
慢は自然に抗うこころ哉。 傲慢、高慢、自慢、我慢。 慢心より顕わるること哉。 自然を越えたい抗いたい。 和合し共生するのでなく、 世間を超えたい克したい。 それ我れ尊しの気持ち也。 慢心の者、自然を開拓す。 自然は、我ら皆を包みて、 そのままに命の業を赦す。 悲しいかな理解らぬ我等。 吾が身口意の慢を懺悔す。
精神科医の中井久夫教授の著作を読んで、私なりに理解したことです。 人には、「センス感覚の鋭い」タイプと、「組織秩序に執着」するタイプが、あるのかなぁ、とおもいます。前者は面白さに傾きて、後者は生存継続ばかり哉。前者は芸術性に優れていて、後者は生産性が強いかも。 中井久夫師の著作に触れた、私のエッセイです。(100分で名著『中井久夫シリーズ』を参照) 感覚を主にするタイプと、組織秩序に執着して生きるタイプが、あるようです。前者はマイノリティーで、後者はマジョリティです。
最近は、社会・組織・世間について、いろいろと考えてます、半端な頭で。 世間知らずです、わたし。世間体がわかりません。ところで、サンスクリット語で[ローカ]と言うそうです、世間は。世俗ということは、梵語で[ラウキカ]だそうです。 組織とは、そこに帰属とか依存するん、ですよね。それって、自立はない、のかも。 それから、組織は始めはよいのだが、継続するうちに、なんか、陳腐になる。組織の特性なんでしょうか。組織って、崩れてきますね。 ドミネーション(支配とか主従関係)、ばか
今日の夕方、嬉しいことがありました。 公園の椅子、屋根もテーブルもありました。彼処で、ラテ(98円)を飲んでました。 そこに、ある女性(アラフォーティ)が通りかかりました。わたしは、頭を下げました。別に他意はありません。顔も観ていません。わたしは、ずっと、九品とヴァルナとジャーティーを考えていました。いわゆる、カーストと、青黄赤白の四つの蓮華、と九品について。わかりません、わたしには。 彼女は、帰りみちに、わたしの隣に座ってきました。そして、わたしに話しかけ始めました。ほ