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謙虚って結局なんだ?

謙虚であることはいいことのような気もするし、悪いことのような気もする。

これって結局、本来の謙虚というのが曖昧というか誤解されている部分があるからなんだと思います。

例えばスポーツ選手が自信過剰で行きすぎた発言をした際に、謙虚さが無いとか批判されることがありますが、この場合の謙虚ってちょっと違うのかなと思います。

こういった誤った謙虚というものを押し付けられて辛い思いをしている人も多くいるんじゃないかなと思います。

誤った謙虚

人に褒められたり、人より優れているときに、本来の評価よりも低くへりくだって応えたりするのが、特に日本では慎ましく、良いとされる風潮があると思います。

ただこれは謙虚なのではなく、謙遜です。国語の先生みたいになっていますが、この違いが曖昧になって誤解が生まれているのかなと思います。

謙遜というのは本来の自分より低く見積もることなので、自分の可能性や自信をつぶす行為でもあります。

謙遜することで、より大きな賞賛をもらいたいという期待もしてしまうこともあるので、それもいい結果を生みません。

能ある鷹は爪を隠す。と言いますが、本人が何か目的をもって爪を隠すのと、他人に押し付けられて隠させられるのでは意味合いが違います。

だから謙遜というのは本来人に押し付けられるものではない。だけど日本では慎ましくが美徳みたいな謎の風潮によって、すごい人はすごい人として生きてると叩かれがちなんですよね。

嫉妬からくるものなので本当に不健康なものだと思います。反射的に謙遜するのが日本人のマナーとも言えます。

本来の謙虚

謙虚というのは、自分の至らないところをしっかりと認められること、そしてそこから学ぼうとすること、その気持ちを持つことです。

実はこれはものすごい勇気のいることです。自分への否定的な意見を受け入れる必要があるからです。

楽な反応は、自分は才能がないから、恵まれていないから、ああだから、こうだから、というダメな理由を見つけてくるやつですが、本来の謙虚というのは、それを理由なしに認めることなんです。

自分はこれができないんだ。

人間心のどこかに言い訳を持っていたりします。もっと若ければ、お金があれば、時間があれば、などなど。

そういった言い訳の影には自分への過度な期待もあるんだと思います。自分は本当はもっとできるのに、というやつです。

でも、できるようになるにはできていないことを一度認めて、素直に学ぶしかないんです。

僕自身、全然謙虚じゃなかったなと実感したのと同時に、謙虚であることが人生を輝かせるピースになることに気づきました。

自分がダメなところ、嫌いなところも含めて認める勇気を持って生きていこうと思います。


僕はこの違いに気づいてとてもスッキリしました。感覚的なものかもしれませんけど。

人に気を遣って、謙虚に目立たないように、ではなく、自分の至らないところに気づいて、認めて、学ぼうとすること。

プライドを捨てて正しい意味で謙虚に素直にこれからも頑張っていこうと思います。

それではまた。

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